ひと昔前と比べれば違和感なく日常でも使われるようになった「SM」という言葉。

「SM」が日本独自の表現であることは案外知られていない気がいたしますが(英語圏では一般的に「BDSM」が使われます)、それ以上に知られていないのが、「SM」という言葉の誕生に、誰もが知っている歴史上の出来事が深く関わっていたという事実ではないでしょうか。


■すべては2人の変態貴族から始まった

ご存知のように、「SM」という言葉は精神医学用語である「サディズム」「マゾヒズム」に由来します。

マルキ・ド・サド(フランスの貴族、小説家)とザッハー=マゾッホ(オーストリアの貴族、小説家)の名に基づいて、これらを創案したのがドイツの精神科医クラフト=エビング。1886年(明治19年)頃のことだと言われています。

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小説『毛皮を着たヴィーナス』のモチーフになった愛人ファニーとマゾッホ(画像:Wikipediaより)

■語源を紹介した翻訳書、発禁処分に…

エビングが著し、サディズムやマゾヒズムなど様々な異常性愛について紹介した医学書『Psychopathia Sexualis (直訳すると「性に関する精神病理」)』は、日本でも1894年(明治27年)に翻訳版が出版されました。

しかしこの翻訳書。出版後すぐに明治政府の手で発禁処分にされてしまうのです…。

発禁の憂き目をみた翻訳書の題名は『色情狂編』。

実は「SM」は日本発祥の言葉だった?その誕生に深く関わった歴史上の出来事とは…?


「色情狂編」表紙(国立国会図書館デジタルコレクションより)

強烈過ぎるこの書名も処分の一因だったのかもしれませんが、何より明治27年は日清戦争が勃発した年。国際的緊張が高まる状況下では、政府も性愛に寛容ではいられなかったのでしょう。

■大正の自由な風に吹かれて

発禁処分から18年後の1913年(大正2年)。『Psychopathia Sexualis』は書名も新たに『変態性欲心理』として再び日本に紹介されます。

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『Psychopathia sexualis』表紙(画像:Wikipediaより)

当時我が国では、大正デモクラシーがもたらした自由主義的な風潮の中で、多くの作家や学者が一風変わった性のあり方について論じる、「変態性欲ブーム」が起きていました。


政治、文化、社会のみならず、性愛についても自由に語ることが許された大正の世。大正デモクラシーという自由な風に吹かれながら、『変態性欲心理』は変態性欲ブームの火付け役となり、「サディズム」「マゾヒズム」という言葉は文化人たちのあいだに急速に普及してゆくのでした。

■「サドマゾ」からなぜか「MS」を経て「SM」へ

「サディズム」と「マゾヒズム」が合わさって「サドマゾ」が生まれ、さらに省略されて「SM」へと進化するには、大正デモクラシーからさらに数十年の月日を要しています。驚くべきことに、「サドマゾ」が「SM」に変化する過程では、SとMが逆転した「MS」が頻繁に使われていた時期もあったのだそうです。

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1968年(昭和43年)にはSM雑誌の先駆けとなる「サスペンス&ミステリーマガジン」が誕生し、翌年すぐに「SMマガジン」へと改題。これに続けとばかり「SMセレクト」「SMプレイ」「パンチSM」といったSM雑誌が次々に刊行され、ここに日本発祥の変態用語「SM」が確立されるのです。

一度は発禁となった『Psychopathia Sexualis』が再び翻訳されることがなかったら。そして、2度目の翻訳出版が大正デモクラシーの真っ最中でなかったら。「SM」という言葉も、そして「ドS」「ドM」と言う属性も生まれていなかったかもしれません。

参考:SMペディア、懐かしき奇譚クラブ

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