送別会など出会いと別れの時期に寄せ書きとして使う色紙。最近コロナで歓送迎会ができない代わりに、寄せ書きを贈ろうとしてびっくり。
色紙専門サイトには、白い側が裏と書いてありました。

一般的な色紙を思い浮かべると、片方は白く片方は金や銀のきらきらした加工がされていますよね。有名人のサインなどもそうですが、文字を書くときや書いてもらうときは白い側に書く人が圧倒的に多いと思います。

そもそも色紙とは何に使うものだったのでしょう。会社の送別会で生まれた近代のもの?

いえいえ、そもそもは和歌や俳句、書画などを書く用途の紙でした!

■古くは奈良時代から

色紙という名前は、元来は「料紙」と呼ばれる染色した紙で奈良時代から存在していました。平安時代になると次第に文様を刷り込んだり、金・銀の箔加工などの装飾を施されたりと華やかになっていきます。

そして平安中期から鎌倉時代にかけて、和歌を書いた料紙を屏風や障子に貼り付けて装飾とするようになります。それを「色紙形」と呼び、現在の「色紙」の原型になりました。

しだいに公卿や歌人が和歌を書いた色紙が、貴族社会で贈答品として扱われ始めます。現代で著名人のサインがプレミア扱いになるのと同じですね。

寸法や書式も定められ、だいたい大きな色紙は縦19.4×横17cm、小さな色紙は縦18.2×横16.1cmとされ、身分の高い人ほど大きなものを使っていたようです。歌の散らし方や名前の入れ方などは歌道の流派によって定められていました。


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「色紙考」(川崎千虎、明治期、国立国会図書館より)

え、まじか・・・実は色紙は白い方が裏だった!?色紙は元々どんな用途で使われていたの?


本朝世事談綺(ホンチョウ セジダンキ)(河内屋茂兵衛[ほか10名]天保7年、国立国会図書館より)

また自分の詠んだ歌ではなく、古歌をしたためることも多かったようです。奈良から平安朝にかけての三十六歌仙の歌を1枚1首ずつ書いて屏風に貼るという風流な趣向も。

ちなみに色紙で大変貴重とされているのは、『新古今和歌集』を選者の一人として有名な藤原定家の「小倉色紙」だそうです。

小倉色紙は、定家が武将・宇都宮頼綱の依頼で、彼の京都嵯峨にある小倉山荘の障子に貼るために書いた物といわれ、そのほとんど散逸してしまい江戸時代には30枚ほどしか確認されていないとのこと。書家として崇められていた定家の色紙は、一枚千両にもなったとか。

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小倉山荘色紙形和歌、烏丸光広写(国立国会図書館より)

江戸時代では「風神雷神図屛風」で有名な俵屋宗達がまだ町絵師だったときに料紙や色紙のデザインも手掛けており、その金銀泥の料紙そのものが美しく評価されています。その色紙に当代きっての文化人で書家の本阿弥光悦が書いた書が、さらに貴重なものとして珍重されています。

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鶴下絵和歌巻(部分)(下絵・宗達、書・本阿弥光悦)京都国立博物館(Wikipediaより)

色紙には、なんとも奥深い歴史が秘められていました。

現代でなぜ白い側に文字を書くようになったのかは「謙遜して裏紙に書き始めた人がおり、それが一般的となった」などの説がありますが、はっきりとはわかっていません。また、最初から書きやすいように白地を表として作成された色紙もあるようです。

現代ではポップな色使いやデザインの物がたくさん出回っていますが、金銀の古風な色紙を使う時はぜひそちらを表面にして使用してみてはいかがでしょうか。

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