戦国時代。斉藤家家臣を経て秀吉の元で活躍した軍師「竹中半兵衛重治(たけなかはんべえしげはる)」。
わずか36年の生涯で半兵衛が残した逸話は多い。【中編】では現代に伝わっているエピソードをご紹介する。

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婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【前編】

■【逸話1】新加納の戦い

1563年。信長は自身が出陣する形で美濃攻めを開始。柴田勝家や池田恒興といった家臣を従え約6000の兵力で侵攻した織田軍に対し、斉藤軍は約3500と、兵力では圧倒的に不利な状況で迎え撃った。

木曽川を渡った新加納の地で合戦となった両軍。戦力的に圧倒的有利なはずの織田軍は、半兵衛が仕掛けた策によって思わぬ苦戦を強いられる。結果的に織田軍は想定外の犠牲によって退却。斉藤軍は防衛戦に勝利した。

この時、半兵衛が用いた作戦は「伏兵策」だったとされている。伏兵策とは奇襲の一種であり、敵が予期できない場所や時期、方法を用いて組織的な攻撃を仕掛ける戦術だ。

織田軍を退けた斉藤軍であったが、当主・龍興の半兵衛に対する評価は低かったという。
このことが以後の乗っ取り事件に繋がっていく。

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美濃斉藤家3代目当主「斉藤龍興」Wikipediaより

■【逸話2】稲葉山城乗っ取り事件

美濃国3代目当主「斎藤龍興(たつおき)」は、家督を継いで以降家臣の信頼を得ることができずに国力は低下していた。

1564年。半兵衛は妻の父であり西美濃三人衆に数えられた「安藤守就(あんどうもりなり)」と共に龍興の居城である稲葉山城を襲撃し奪取している。この事件には諸説があり、現在では安藤守就のクーデター説が有力となっている。

婦人のような優男? 織田信長が惚れ込んだ戦国の天才軍師「竹中重治」の逸話【中編】


竹中重治像(禅幢寺所蔵)

しかし、半兵衛勢は白昼堂々少人数で稲葉山城へ乗り込み、城主の龍興を殺さず逃していることから美濃国を乗っ取ろうと画策した下克上とは言い切れない。

また、半兵衛勢は乗っ取り事件の際に龍興方の重臣6名を討ち取っている(半兵衛自身は、かねてから私怨のあった斉藤飛騨守を斬っている)ことから、龍興を諫める目的を持った乗っ取りであった可能性も指摘されている。

最後の【後編】では、秀吉家臣時代の逸話を紹介する。

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