因果応報。これは良い行いをすれば良いことで返ってきて、逆に悪い行いをすれば悪いことで返ってくる意味を持つ言葉です。


そして、平安時代に生きた武士、長田忠致(おさだ-ただむね)はまさにこの言葉を悪い意味の方向で体現した人物でした。

今回は忠致が行った所業とそれに対する報いを紹介します。

■源義朝を裏切り、討ち取る

忠致がいる長田氏は猛将と評価される平致頼(たいらの-むねより)からなる尾張国野間を領地とした一族で、源氏に従っていました。

そのため、平治元年(1159)に起きた平治の乱で敗れ東国へ落ち延びていた源義朝に、野間において身を寄せる場を提供しました。

しかし平氏から恩賞の話を受けていた忠致は、あろうことか入浴中で無防備だった義朝を討ち取ってしまいます。また、自身の娘婿で義朝の郎党だった鎌田政清(かまた-まさきよ)も酒で酔わせた後に討ち取っています。

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源義朝と鎌田政清/Wikipediaより 

忠致は義朝たちを討ち取った功績により、壱岐守に任命されましたが、「功績に見合った恩賞ではない」と言わんばかりな態度を示しました。

さらに清盛に対して「美濃か尾張の国司に任命するのが当たり前ではないでしょうか」と言ったことで、怒りを買ってしまいます。これには流石にまずいと思ったのか、忠致はすぐさま引き下がりました。

■源頼朝のもとへ

その後、源頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、何を思ったのか忠致は頼朝の配下に加わります。

裏切りの果てに…土地ではなく命を貰われた平安時代の武士・長田忠致に訪れた報い


 源頼朝/Wikipediaより

頼朝は亡き父の仇である忠致を特に処罰を与えることなく、「懸命に尽くせば美濃尾張を与える」ことを約束しました。

忠致はその言葉通りに懸命に尽くし、平氏打倒の手助けに大いに貢献しました。


■約束通り、美濃尾張を貰う

やがて平氏が滅亡し、頼朝が征夷大将軍として鎌倉幕府を開いた後、忠致は頼朝に論功行賞のため呼び出されます。

以前約束したことが現実になると意気込んで頼朝に会いに行きますが、これは真っ赤な嘘で忠致は捕まってしまいました。

裏切りの果てに…土地ではなく命を貰われた平安時代の武士・長田忠致に訪れた報い


 忠致が磔にされた松の木/Wikipediaより

そして忠致は義朝たちを討った尾張国野間にある松の木に磔にされ、頼朝にこう言われました。

「約束通り、身の終わり(美濃尾張)を与えてくれる」と。

その言葉通り、忠致は身の終わりを貰いました。

■最後に

自身の保身を重んじた行動により、最後はあっけない結末を迎えた忠致。そんな忠致を見てしまうと、自分自身を大事にすることも大切だが、いき過ぎた行動にはその分の代償が伴うことが見て取れました。

何にしても自己中心的な行動は破滅を導くということを忠致から教えられました。

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