Japaaan読者の皆さんこんにちは、ライターのほおの紅です。先週食べた七草粥のホトケノザが野草のホトケノザじゃなくてコオニタビラコという全く馴染みのない植物だった件で今さら驚いています。


さて、今回は「姫はじめ」についてのアレコレです。

■ヒメハジメッテナニ?

「姫はじめ」といえば、諸説ありますが多くの場合は新年になって初めてHすることを意味します。この意味で使われるようになった歴史はけっこう古く、江戸時代中期に活躍した浄瑠璃作家の近松門左衛門も「湯殿始めに身を清め、新枕せし姫始め」なんて言ってます(大経師昔暦)。

江戸庶民が残した面白い川柳の中にも、姫はじめを詠んだバレ句(Hな川柳)がたくさんあります。

「女房と 乗り合いにする 宝船」

「宝船 しわになるほど 女房こぎ」

これらがなんで姫はじめの川柳かというと、江戸のお正月には枕の下に宝船の絵を描いた紙を敷いて寝るという風習があったからなんです。これを敷くと良い初夢が見れると言われていました。

新年最初のエッチはどうしてた?江戸時代の「姫はじめ」について...の画像はこちら >>


ちなみに私も今年敷いてみましたが、超爆睡してしまい夢すら見ませんでした。どこ行った私の一富士二鷹三なすび。

さて、話を戻します。

1句目では宝船を敷いた枕の上で、女房と重なり合うから「乗り合い」と表現しているんですね。最中に女房がはげしく動いたからその宝船の絵がくちゃくちゃになってしまった。

そんなこっぱずかしい事も川柳にして人気の川柳雑誌に投稿しちゃうんだから、江戸っ子のオープンさには脱帽です。
しかもそれを選んで掲載しちゃう選者のユーモアもすごい。

しかし投稿した方も選んだ方も、まさかこんな句が数百年後の令和の世にまで伝わるとは思ってなかったんじゃないかな。

■元日はシてはダメだった!?

ところでこの「姫はじめ」、できれば新年1発目はおめでたく1月1日に!!・・・・・・と多くの方は意気込むと思うのですが、実は江戸時代には1月1日の交合(エッチ)は早く老けるとか縁起が悪いという言われがあって、皆敬遠したんです(でもなぜかHな話で盛り上がるのは強運を呼ぶから推奨されていた)。

というわけで当時の新年初H解禁日は1月2日。この日の江戸っ子たちは男も女も初湯で体を綺麗にして、夜はどの長屋も振動でユサユサ揺れたとか揺れなかったとか。

新年最初のエッチはどうしてた?江戸時代の「姫はじめ」についてのアレコレ


ニューヨーク博物館より。パブリックドメイン(着色加工:筆者)

こんな句もあります。

「やかましや するにしておけ 姫始め」

「あー、隣の夫婦まじうっせえ」「いいじゃねえの、好きにさせてやろうぜ」・・・・・・。

参勤交代制度のせいで独身男性の割合が異常に多かった江戸の町では、姫はじめの音や声を聞きながらイラついていた人も多かったようです。

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