すばらしい功績を残したにもかかわらず、奇抜でインパクトが強すぎる行動のほうが注目され、奇人や変人扱いをされる天才も少なくありません。

今回は、そんな天才たちのなかから、ふんどし姿で山を駆け回り「天狗」と呼ばれた天才研究者「南方熊楠(みなかた くまぐす)[1867年 – 1941年]」の功績と奇抜な行動について紹介いたします。


そして、そんな熊楠ならではのキャラメル箱の使い方についてもみていきましょう。

■「南方熊楠」とは?

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊...の画像はこちら >>


画像:Wikipediaより

「南方熊楠」は、和歌山県出身の博物学者であり生物学者で、粘菌や日本の民俗学について研究をした人物です。

子供の頃の熊楠は、学ぶことは大好きだったけれど、学校のイスに座って授業を受けることは苦手だったようで、貝類や山の植物などを採集して標本を作っていました。

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:写真AC

大人になっても自由に学ぶことが好きだった熊楠は、アメリカへ留学後も大学の講義には出席せず、野山を散策して自然学科の資料を集めたと言われています。

こういった学びや研究が、のちに大きな功績へと結びつきます。

■熊楠の功績

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:写真AC

熊楠は、粘菌のほかにもコケやシダ、キノコや海藻類のほか、昆虫や小動物の採集・調査をおこなっていました。

このことから、日本で明治時代後半に神社や神社に付随する「鎮守の森」が取り壊されようとすることに反対。

当時の県知事に手紙を送り、「生き物と環境はお互いに影響しあいながら存在する」という生態学の考え方について説明し、多くの人々の心を動かしたと言われています。

熊楠の反対運動は警察が出動するなど問題もあったものの、現在の「環境保護」や「エコロジー活動」の前身になったとも言えるでしょう。

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:写真AC

また、有名なイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に、論文などの研究業績が多く掲載され、「日本にミナカタあり」と言われた有名人でもあります。

そのほか、天皇陛下からの要望を受けて、粘菌や海中生物についての御前講義をおこなうなど、数多くの功績を残している人物です。

■熊楠のヤバイ行動

熊楠は少年時代、自由自在に「吐く」ことができたため、ケンカ相手に吐しゃ物を吐きかけていたそうです。


そのため、ケンカには負けたことがなく、あだ名は「反芻(はんすう)」だったとか。

※「反芻」… 一度は飲みこんだ食べ物を再び口の中に戻して噛み、飲みこむこと。

このエピソードだけでも十分に激ヤバですが、まだまだ!こんなものではありません。

山の中で採集をするとき、汗かきだった熊楠は、ふんどし姿で山を駆け巡って農家の娘さんたちを驚かせ「てんぎゃん(天狗)」と呼ばれたという話は有名です。

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:写真AC

また、6月から9月半ばまでは一糸まとわぬ姿で自宅で過ごして奉公人を驚かせたり、自分の提案したゲームで何度も指名されて泥酔し、全裸になって踊りながら廊下で寝てしまって校長にひどく怒られたりしたこともあったのだとか。

結婚後のエピソードとしては、お風呂から出てもカラダも拭かず浴衣も着ない熊楠に、妻である「松枝(まつえ)」は、ゴザを敷き詰めたと言う話もあります。

ほかにも多くの逸話があるものの、ここまで裸のエピソードが多い歴史偉人も珍しいのではないでしょうか?

そして、こんな人が身近にいたら「ヤバイ行動」をしているとしか思えませんよね…

■熊楠のキャラメル箱の使い方

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:イラストAC

1929年6月、昭和天皇が和歌山県にある神島(かしま)を訪問していました。

※1929年といえば、アメリカの株価が大暴落して世界恐慌のキッカケになった年でもありますが、株価が暴落しはじめたのは9月頃のことです。

このとき、皇太子の頃から粘菌に感心のあった陛下より事前に要望を受けていた熊楠は、粘菌や海中生物について御前講義をおこなっています。

そして、この講義のあとに熊楠が陛下に渡したのが、なんとキャラメルのボール箱だったのです。

ふんどし姿で山を駆け回り”天狗”と呼ばれた天才研究者「南方熊楠」のキャラメル箱の使い方


画像:写真AC

中身は「110種類にもおよぶ粘菌の標本」だったそうですが、陛下への献上をする容器にキャラメル箱を選ぶとは、なかなかの奇人と言えるのではないでしょうか?

けれど、キャラメル箱をプレゼント箱として使うぐらい奇抜な発想がなければ、粘菌や小動物を採集し、調査するということには結びつかなかったかもしれません。

また、昭和天皇が詠んだ数少ない個人名の入った歌のひとつに熊楠をしのんだ歌があることからも、インパクトある天才であったことがうかがえます。


「雨にけぶる神島を見て、紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

※引用:和歌山県田辺市 田辺観光協会「田辺探訪」より

■隣の奇人は天才かもしれない

今回紹介した熊楠のように、奇抜でインパクトのある行動を起こしつつも、すばらしい功績を残した天才はたくさんいます。

あなたの周りにいる「変わっている人」も、もしかしたら後世に功績を残すような「天才のたまご」かもしれません。

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