四方を海に囲まれた日本では、お隣の中国大陸をはじめとして、外国へ行くには荒波を越えなければなりません。
航海技術の発達した現代でも海難事故がしばしば起きており、昔の人々にとっては決死の覚悟が求められたことは言うまでもないでしょう。
古来「人事を尽くして天命を待つ」と言うように、できる限りの手を打ったらあとは神頼みとなるのですが、古代の人々はその神頼みにも必死だったようです。
そこで今回は、古代日本(倭国)の様子を記した「魏志倭人伝(ぎし わじんでん)」より、航海の無事を祈願した古代の奇習「持衰(じさい)」について紹介したいと思います。
■「魏志倭人伝」について
歴史の授業で1度は聞いたことがあるかと思いますが、魏志倭人伝とは中国大陸が三つの王朝(魏・蜀・呉)に分かれて天下を争った三国時代の歴史書『三国志(さんごくし)』の中で、魏(ぎ)王朝について志(しる)した「魏志」の一章(伝)を指しています。
当時、倭国は魏王朝に臣従していたため、魏志に収録されたのでした。
魏志倭人伝では、魏の東方に位置する帯方郡から朝鮮半島を経由して対馬海峡を渡り、九州に上陸して邪馬台(やまたいorやまと)国へ至る道中の国々を紹介。
邪馬台国の女王・卑弥呼。Wikipedia(撮影:Soramimi氏)より。
後半は倭国全体の自然風土や生活文化、魏王朝との外交関係について、そして女王・卑弥呼(ひみこ)の死と臺与(とよ)への継承までが描かれています。
倭の各国は魏王朝へ臣従の意思を示すためにしばしば大陸へ渡らねばならず、危険な航海を成功させるために生まれたのが「持衰」の奇習だったのです。
■命がけの安全祈願、その内容は?
では、その「持衰」とは具体的に何をするのか、まずは「魏志倭人伝」の原文を見てみましょう。
「魏志倭人伝」原文より、持衰の部分(赤枠)。
【読み下し】
その行来・渡海、中国に詣(参)るには、恆(つね)に一人をして頭を梳(くしけず)らず、蟣蝨(きしつ。
※一部、文意を変えない範囲で読みやすく直しています(例:其の⇒その、如く⇒ごとく、之⇒これ、等)。
【意訳】
倭国の者たちが海を渡って中国(魏王朝)へあいさつに行く時、一人を選んで航海中は以下のようにさせる。
一、頭髪を整えず、シラミが湧いても放置。
一、衣服は洗わず着替えず、汚れたままとする。
一、肉類を食わない。
一、女性を近づけない。
まるで喪に服しているようだが、これを持衰(じさい)と名づけている。
もし航海が無事に終われば、奴隷(あるいは罪人)であれば解放し、財物など褒美を与えるが、もし疫病が蔓延するなど航海に不都合(暴害)があった場合、持衰の謹慎が不十分であった責任をとらせてこれを殺す。
要するに航海安全の願をかけた精進潔斎(しょうじんけっさい)といったところで、上手く行けば褒美を与え、失敗すれば(神様への生贄or八つ当たりに)殺すという神頼みだったようです。
もちろん、こんな運任せな役目を志願する者はいなかったでしょうから、きっと(殺しても惜しくない)奴隷や罪人などを連れてきて任に当たらせたものと考えられます。
■終わりに
「おい……お前、あの船に乗るか?」
「……どこへ行くんだ?」
「大陸へ渡るのさ。往復の航海が上手くいけばお前は釈放、当分暮らせるだけのカネもやろう」
「……そんな旨い話、ノーリスクな訳はないよな?」
「いかにも……もし航海中、何かトラブルがあったらお前を殺す。どうだ、受けるか?」
「うーむ……」
「お前は終身刑だったな?牢獄の中で一生を終えるか、あるいは命を賭けて解放の可能性を追求するか……ま、明日までじっくり考えな」
遣唐使。この船にも持衰は乗っていたのか。Wikipedia(撮影:PHGCOM氏)より。
助かるか、殺されるかはまったくの運次第……後世の遣隋使・遣唐使にも、似たような役目の者を船に乗せていたそうです。
かつて荒波を乗り越え、大陸王朝と交流した先人たちの陰で、こうしたドラマが繰り広げられていたのかも知れませんね。
※参考文献:
石原道博ら編訳『魏志倭人伝・後漢書倭伝 宋書倭国伝・隋書倭国伝』岩波文庫、1966年7月
航海技術の発達した現代でも海難事故がしばしば起きており、昔の人々にとっては決死の覚悟が求められたことは言うまでもないでしょう。
古来「人事を尽くして天命を待つ」と言うように、できる限りの手を打ったらあとは神頼みとなるのですが、古代の人々はその神頼みにも必死だったようです。
そこで今回は、古代日本(倭国)の様子を記した「魏志倭人伝(ぎし わじんでん)」より、航海の無事を祈願した古代の奇習「持衰(じさい)」について紹介したいと思います。
■「魏志倭人伝」について
歴史の授業で1度は聞いたことがあるかと思いますが、魏志倭人伝とは中国大陸が三つの王朝(魏・蜀・呉)に分かれて天下を争った三国時代の歴史書『三国志(さんごくし)』の中で、魏(ぎ)王朝について志(しる)した「魏志」の一章(伝)を指しています。
当時、倭国は魏王朝に臣従していたため、魏志に収録されたのでした。
魏志倭人伝では、魏の東方に位置する帯方郡から朝鮮半島を経由して対馬海峡を渡り、九州に上陸して邪馬台(やまたいorやまと)国へ至る道中の国々を紹介。
邪馬台国の女王・卑弥呼。Wikipedia(撮影:Soramimi氏)より。
後半は倭国全体の自然風土や生活文化、魏王朝との外交関係について、そして女王・卑弥呼(ひみこ)の死と臺与(とよ)への継承までが描かれています。
倭の各国は魏王朝へ臣従の意思を示すためにしばしば大陸へ渡らねばならず、危険な航海を成功させるために生まれたのが「持衰」の奇習だったのです。
■命がけの安全祈願、その内容は?
では、その「持衰」とは具体的に何をするのか、まずは「魏志倭人伝」の原文を見てみましょう。

「魏志倭人伝」原文より、持衰の部分(赤枠)。
【読み下し】
その行来・渡海、中国に詣(参)るには、恆(つね)に一人をして頭を梳(くしけず)らず、蟣蝨(きしつ。
シラミ)を去らず、衣服垢汚、肉を食わず、婦人を近づけず、喪人のごとくせしむ。これを名づけて持衰(じさい)となす。もし行く者吉善なれば、共にその生口、財物を顧し、もし疾病あり、暴害に遭えば、便(すなわ)ちこれを殺さんと欲す。その持衰謹まずといえばなり。
※一部、文意を変えない範囲で読みやすく直しています(例:其の⇒その、如く⇒ごとく、之⇒これ、等)。
【意訳】
倭国の者たちが海を渡って中国(魏王朝)へあいさつに行く時、一人を選んで航海中は以下のようにさせる。
一、頭髪を整えず、シラミが湧いても放置。
一、衣服は洗わず着替えず、汚れたままとする。
一、肉類を食わない。
一、女性を近づけない。
まるで喪に服しているようだが、これを持衰(じさい)と名づけている。
もし航海が無事に終われば、奴隷(あるいは罪人)であれば解放し、財物など褒美を与えるが、もし疫病が蔓延するなど航海に不都合(暴害)があった場合、持衰の謹慎が不十分であった責任をとらせてこれを殺す。
要するに航海安全の願をかけた精進潔斎(しょうじんけっさい)といったところで、上手く行けば褒美を与え、失敗すれば(神様への生贄or八つ当たりに)殺すという神頼みだったようです。
もちろん、こんな運任せな役目を志願する者はいなかったでしょうから、きっと(殺しても惜しくない)奴隷や罪人などを連れてきて任に当たらせたものと考えられます。
■終わりに
「おい……お前、あの船に乗るか?」
「……どこへ行くんだ?」
「大陸へ渡るのさ。往復の航海が上手くいけばお前は釈放、当分暮らせるだけのカネもやろう」
「……そんな旨い話、ノーリスクな訳はないよな?」
「いかにも……もし航海中、何かトラブルがあったらお前を殺す。どうだ、受けるか?」
「うーむ……」
「お前は終身刑だったな?牢獄の中で一生を終えるか、あるいは命を賭けて解放の可能性を追求するか……ま、明日までじっくり考えな」

遣唐使。この船にも持衰は乗っていたのか。Wikipedia(撮影:PHGCOM氏)より。
助かるか、殺されるかはまったくの運次第……後世の遣隋使・遣唐使にも、似たような役目の者を船に乗せていたそうです。
かつて荒波を乗り越え、大陸王朝と交流した先人たちの陰で、こうしたドラマが繰り広げられていたのかも知れませんね。
※参考文献:
石原道博ら編訳『魏志倭人伝・後漢書倭伝 宋書倭国伝・隋書倭国伝』岩波文庫、1966年7月
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