今回は、甲斐武田氏の軍事力基盤として機能し、騎馬隊の基礎を作った2人の武将をご紹介する。
飯富虎昌(Wikipediaより)
■戦国における「赤」の意味
戦国時代において「赤」は特別な色であったとされる。膨張色である赤は、敵味方入り乱れる戦場において味方を正確に認識する手段として機能し、視覚効果により実際の兵数よりも多くの軍勢が存在するように錯覚させ、情熱や興奮という色彩イメージによる士気向上ももたらした。
また、戦国期における赤色の塗料は貴重であり、特別な武将や部隊だけが身に纏うことを許されていたという。真紅の鎧を身に纏った軍団の存在は、それのみで敵軍を威圧する効果もあった。
■「赤備え」とは
貴重な赤い鉱物である「辰砂(しんしゃ)」から作られた鎧で統一された軍団や部隊編成を指す。戦国期には赤以外にも黒や黄で統一された部隊の存在が確認されているが、赤備えの部隊は各国の精鋭部隊であることが多く、国の武力の象徴として君臨した。

「赤備え」甲冑(Wikipediaより)
【主な赤備え部隊】
・武田の赤備え・・・(武田信玄軍の中で組織された騎馬部隊)
・真田の赤備え・・・(大阪夏の陣で真田信繁(幸村)が組織した部隊)
・徳川の赤備え・・・(徳川家康家臣の井伊直政による部隊。武田遺臣からなる)
・江戸幕府の赤備え・・・(将軍外出時の護衛旗本が着用した。武田の赤備えに習った様式)
・その他の赤備え・・・(北条氏の家臣や黒田如水(官兵衛)の配下にも朱色の甲冑を用いて戦った武将が多く存在する)
【後編】では、赤備えを生んだとされる武田氏配下であった二人の武将についてご紹介する。
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