「無悪善」
「子子子子子子子子子子子子」
むあくぜん?こここここここ……?ではありません。
■頭が良すぎて、いつも一言多かった小野篁
ある日のこと、内裏(だいり。皇居)にこんな高札が立てられていました。
「無悪善」
内裏に立てられた高札(イメージ)。
報告を受けた嵯峨(さが。第52代)天皇は、いったい誰がこんなことをしたのか、そして書かれた三文字にはどのような意味があるのか、不思議でなりません。
「これはいったい何と書いてあるのだ?」
博識な学者たちに訊ねてみても、このような用語は過去の典籍に例がなかったのか、誰も答えられずにいました。
そこへやって来たのが小野篁(おのの たかむら)。若きインテリ(※)として高名ながら、一言多い性格だったようで、今回も要らんことを口走ってしまいます。
(※)嵯峨天皇の在位と小野篁の生没年を参照し、このエピソードを在位中とするなら、篁何歳ごろと考えられる旨を補足。
「こんなの簡単ですよ……『悪さが無ければ善い』でしょ?」
これは単純に「悪くなければ善い」という意味に加えて「悪・嵯峨・なければよい≒悪い嵯峨天皇なんていなければ≒死ねばいいのに」と意味にも解釈できてしまいます。
(篁、そなたは何と余計なことを……っ!)
学者たちは嵯峨天皇の勘気をこうむらぬよう、あえて読めないフリをしていたのに、空気が読めない篁はつい口にしてしまったのでした。
■一つの漢字を三通りに読み分ける
当然、嵯峨天皇はカンカンです。
「これを一発で読めたと言うことは、書いたのはそなたであろう……いったい何が気に入らんのかは知らんが、この不敬に対して覚悟は出来ておろうな!」

カンカンな嵯峨天皇(左)と人を喰った態度の小野篁。Wikipediaより。
これはもうあかんヤツや……今にも篁が処刑されてしまうのではと震え上がる学者たちとは対照的に、篁は飄々としたもの。
「いやぁ、別に悪気はないし、書いたのも私ではありません。私はこの世のどんな難文であっても読めてしまうものですから……」
たとえ無実であるにしても、実に小憎らしい篁の態度に腹を立てた嵯峨天皇は、とっておきの漢字クイズを出すのでした。
「よーし!だったらこれを解いてみよ!間違っておったら即刻処断するゆえ、心して読め!」
かくして出題されたのが「子子子子子子子子子子子子」……流石の学者たちも、今度は嵯峨天皇への忖度抜きで読めませんでした。
フフフ……小癪な若造めが、せいぜい間違えて泣きながら命乞いをするがよいわ(本当に殺す気はないが、一度は凹ませてやらんと気がすまぬ)……内心ほくそ笑んでいた嵯峨天皇の期待を裏切るように、篁はあっさり答えてしまいます。
「ハッ……『ねこのここねこ、ししのここじし(猫の子、仔猫。獅子の子、仔獅子)』でしょ?簡単すぎます」

猫の子は仔猫(イメージ)。
子という漢字は「ね」「こ」「し」とそれぞれ読めるため、適宜組み合わせて文章を推測したのです。
素晴らしい頓智(とんち)にグウの音も出なかった嵯峨天皇でしたが、その後も才に驕った篁は、やがて過激な朝廷批判によって隠岐国(現:島根県隠岐郡)へ流罪とされてしまったのでした。
(その後、華麗なカムバックを果たすのですが、そのエピソードは又の機会に)
果たして「無悪善」が篁の手によるものなのかは謎のままですが、「口は禍の元」を地でいった人生だったのは間違いなかったようですね。
※参考文献:
小林保治ら訳『新編日本古典文学全集 (50) 宇治拾遺物語』小学館、1996年6月
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