■稀に見る「ガードの固い才女」だった小野小町

日本では、小野小町(おののこまち)と言えば、クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ「世界三大美女」の一人とされています。

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wikipediaより『小野小町(鈴木春信画)』

しかし、彼女は平安時代の前期に活躍した女流歌人ということ以外に、詳しいことははっきり分かっていません。
生没年や父母、経歴すべてが諸説ある謎の女性です。

むしろそんなミステリアスな女性だからこそ、後世にさまざまな「小野小町伝説」が残っているのかも知れません。

詳細不明とはいえ、小野小町の容姿がことのほか優れていたのは確かなようです。『古今和歌集』によると「小野小町は、いにしえの衣通姫の流れである。あわれなようで、弱々しい。まるで、よき女が病んでいるようだ」とあり、当時からすでに絶世の美人といわれ、都の貴公子たちの憧れの的でした。

また『草子洗小町』では、「幸運にも小町と目を合わせることができた男どもは、たちまち呆けたようになって発熱し、ぶらぶら病になる者が少なくなかった」とあります。

彼女のことを書いた作品で最も有名なのは、『通小町』でしょう。小町に恋した深草少将が、「一日も休まず、私のもとに百夜通いをしてくれたら、あなたの胸に抱かれましょう」といわれ、雨にも風にもめげずに「百夜通い」をします。少将は九十九夜まで通い続けますが、最後の夜に精根尽き果て、雪に埋まって凍死してしまうのです。

小野小町は、先に挙げた『草子洗小町』と『通小町』のほか、『卒塔婆小町』など、謡曲の題材にもずい分とり上げられてきました。これも彼女の美しさゆえなのでしょう。


また、小野小町は美しいだけではなく、歌の才能にも恵まれていました。つまり彼女は才色兼備の女性だったのです。『古今和歌集』には彼女の歌が十首以上も記載されており、六歌仙にも選ばれています。

そんな小町ですが、なぜか彼女はめったに素顔を見せなかったとも言われています。のみならず、言い寄る男たちの求婚を片っ端から断り続けて生涯独身を貫きました。深草少将の死にまつわる物語は、小町のそんな「ガードの固さ」の伝説があったからこそ生まれたのでしょう。

■『玉造小町子壮衰書』にみる小町像とその食生活

さて、平安中期あるいは末期の著作とみられる『玉造小町子壮衰書』の主人公に、小町をモデルにしたといわれる「玉造小町」が登場します。彼女はたぐいまれなる美貌を持ち、さる金持ちの貴族の寵愛を受けて贅沢三昧の生活をしていたというストーリーです。

これを読むと、小野小町は、人前に顔を出さないわりには、美の追求には貪欲だったと分かります。美容にいいという食べ物があれば、それが豪奢な珍味であろうとも積極的に取り寄せて摂取していたのです。

ガードの固い才女『小野小町』の食生活は科学者並み!?その美貌の秘密とは


wikipediaより『小野小町(『前賢故実』菊池容斎画、明治時代)』

もちろん『玉造小町子壮衰書』はあくまでも創作物であり、本物の小野小町の伝記と言えるかどうかは分かりません。ただ、少なくとも小野小町という人の人物像の形成に大きく寄与してきた書物であることは間違いありません。
また何よりも、当時の人はどんな食べ物が美容にいいかを知っていたことを示す、驚きに値する内容です。

小野小町が本当にこうした食生活を送っていたかどうか、その真偽は別としても、これは当時の「食べ物と美容」についての見方を示す、第一級の資料かもしれません。

詳しく説明しましょう。

まず、主人公の玉造小町の食膳には、彼女のリクエストに応じて、山海の珍味が日本各地から集められていました。

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その中には、うなぎのあぶら身、ウズラの汁物、鴨の熱汁、がんの塩辛、きじの蒸し肉、大がんの鱠、熊の掌、うさぎの脾臓、煮たるあわび、煎りたるはまぐり、かにの大爪、たにしの胆、かめの尾、鶴の頭部、鯉の旨煮などの食材・料理が並びます。中国の満漢全席のフルコース顔負けの豪華メニューです。

それを、小町はぺろりと平らげてしまうのです。

実は、今挙げた食材・料理の一覧は、いずれもコラーゲンがたっぷり含まれているのです。どうやら小町はコラーゲン含有量の多い動物や魚貝類が好きだったようです。

コラーゲンはタンパク質の一種で、ニカワ質のこと。体細胞の保水能力を高める作用があることから、肌の美しいハリや弾力、しなやかな血管の維持などには欠かせません。

また、関節の動きをスムーズにするので腰痛や膝の痛みにも効きますし、骨を強くする効果もあります。
コラーゲンが欠乏すると全身的な老化現象が発生するともいわれており、まさに美容と健康を保つうえで最重要の栄養素です。

ちなみに彼女の大好物は「熊の掌」でした。それが手に入らない場合は、もっぱら鯉を食べたそうです。「鯉!?」と驚かれる方もいるかも知れませんが、もともと、鯉はコラーゲン、ビタミンB1などが多く含まれており、薬として使われていた食材でもありました。むくみや疲労に効き、美容効果も高いのです。

美人の代名詞でもある小野小町の美貌を作ったのは、現代でも、女性が美容を保つための定番の栄養素とされているコラーゲンだったのです。

■ビタミンC、ショウガ……。コラーゲンにとどまらない的確な栄養摂取

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また小町は、コラーゲンを摂取するだけでなく、その効果を倍増させるすべも知っていたようです。その体内効率を高めるためにはビタミンCが必須ですが、彼女が食べたとされるメニューには、ウリ、アンズ、ユズ、モモがたくさん盛られていたというのです。

その組み合わせは、科学的に見ても、肌の若返りをはかる上で非常に正鵠を射たものでした。ビタミンCには、肌を白くする働きや、病気に対する抵抗力を強化する作用もあります。

さらに、です。
小町の卓越した食材の選択眼は、これにとどまりません。彼女は料理のコースの中に「ショウガ」を添えるのを忘れませんでした。

ショウガには、解毒・消炎作用のあるシネオールや強い殺菌作用のジンゲロール、そして血行促進と体温保持・新陳代謝の活発化に寄与するショウガオールが含まれています。

小町があれほどの山海の珍味を食べても食中毒を起こさなかったのは、おそらくショウガの効能も大きかったと思われます。ショウガにはホルモンの分泌を盛んにする効果もあるので、コラーゲンの効果も倍増したことでしょう。

小町は、どんな食材ををどのような組み合わせで食べれば、若さと美しさを長持ちさせられるのかを本能的に知っていたのかも知れません。少なくとも、後世の私たちにそう思わせるほど、美容効果の高い食事をしていたのです。

彼女の美貌やガードの固さが伝説的なら、このような科学的な食生活もまた、「小野小町伝説」に加えてもいいかも知れません。

しかしそんな小町も、百人一首ではあの有名な歌を詠んでいます。

花の色は移りにけりな
いたづらに
わが身世にふる眺めせし間に

「花の色」という言葉には、自分の容姿が重ね合わせられています。これほど美容の保持に力を注いでいた彼女ですが、最後には、「若く美しい女の盛りが何もしない間に過ぎ去ってしまった」と嘆いています。

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wikipedhiaより「卒塔婆の月」(月岡芳年『月百姿』)年老いた小野小町

生涯に渡って他人に自分の容姿を晒すことなく、また男性の求愛にも肘鉄を食らわせ続けた小野小町。
彼女の生涯も謎に包まれていますが、美容に賭けたその思いや目的もまた、永遠の謎です。

参考資料
永山久夫『イラスト版たべもの日本史』(1998年・河出書房新社)
アサ芸プラス「歴史美女が実践した「健康長寿」食生活(2)小野小町は日本初のコラーゲン美顔」

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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