日本は地震大国。
教科書にも載る有名な地震といえば、元禄地震、宝永地震、安政の大地震と枚挙に暇がありません。
「江戸図屏風(一部)」
しかし、将軍や主君が建物に押しつぶされて亡くなる・・・などと、あってはならないこと。
昔はコンクリートも無いし、免震構造などなかったんじゃないの?と思いがちですが、実は江戸城の見取り図をみると、「地震の間」という地震避難用の部屋が存在するのです。
地震の間は史料によると「前庭築山の麓と大奥近くの中庭」に存在したとのこと。どの部屋にも接しておらず、広い中庭の中央にポツン、と構える離れのような建物で、周りが倒壊しても巻き込まれないようになっていました。
どんな建物だったかというと、約3m×4mの一間で、周囲の縁側は板張り、周りは土を盛り上げて築いた階段で作られていました。建具は四方とも網障子で屋根は柿葺(こけらぶき)にし、徹底的な軽量化をはかっていたようです。
地中部分は掘建柱で地底土台と地底柱挟で結束していること、床を低くしていることなどが耐震構造として興味深いようです。
しかし、地震のときに実際に使用されたのかは残念ながら記録がありません。存在の有無は『甲良豊前控 慶安度』の「元禄度江戸城西丸御表御中奥御殿向総絵図」で確認できます。
『建築二十講』大熊喜邦 著、大正12
下記の見取り図には地震の間の記載はありませんが、江戸城の広さを想像できるよう参考に掲載します。
■暗殺から守れ!布団や駕籠は
寝ているときに下から突かれたら一番危なかろう、ということで、敷き布団は揚畳の上に二つ三つ重ねて敷きました。その厚み30センチもあろうかという分厚さ!さらにその下に藁を敷くという念の入れようでした。
「正徳江戸城図写」国立国会図書館蔵
駕籠の下には鉄板を敷き、たとえ地中から突かれたとしても刀が貫通しないようになっていました。地中に穴を掘り、そこに潜む間者・・・あまり現実的な暗殺方法ではないことのように思えますが、太平の世が盤石になるまで常に暗殺の危険があったのでしょう。
どこにどんな危険が潜んでいるのか、想像力を駆使して対処していことがうかがい知れます。
参考:『建築二十講』(大熊喜邦 著、大正12)、『徳川将軍家の真実』、『『科学でツッコむ日本の歴史~だから教科書にのらなかった』
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