そう、その名も「春の小川」ですね。
ところで、この「春の小川」、実は東京都渋谷区を流れていたのはご存じでしょうか。
そして、1964年の東京オリンピックを機に、地下に埋設され暗渠(あんきょ)となりました。
春の日差しにきらめく清流から、暗い地下をひっそりと流れる川へ……そんな、「春の小川」にまつわるストーリーをご紹介しましょう。
■「春の小川」とは
春の小川(イメージ)写真:T.TAKANO
「春の 小川は さらさら いくよ」で始まる、「春の小川」といえば、誰でも知っている唱歌でしょう。
この曲は、長野県出身の国文学者・高野辰之博士が作詞しました。現在でも学校や合唱グループなどでよく歌われています。
この「春の小川」は、1912年(大正元年)に発表され、発表以降、何度か歌詞が改変されているのです。
そのため、100年以上も歌われ続けている有名な唱歌でありながら、世代によって覚えている歌詞が異なる……ということもあります。
■春の日の小川沿いの散歩から生まれた

東京都渋谷区代々木にある高野辰之の住居跡(写真:wikipedia)
「春の小川」の作詞者・高野博士は、明治42年(1909)から、現在の東京都渋谷区代々木界隈に住んでいました。
当時、その土地には「河骨川(こうほねかわ)」という小川が流れていました。そして、岸辺には「こうほね」という黄色くかわいらしい花が咲くことから、河骨川と呼ばれるようになったそうです。

こうほねの花と葉(写真:wikipedia)
河骨川をさらさらと流れゆく水は清らかで、スイスイと泳ぐメダカの群れを眺めることができ、春の訪れとともに岸辺にはレンゲやスミレなどが咲き誇る、とてものどかな風景の場所だったそうです。
高野博士は、この周辺の景色を愛し、しばし河骨川のほとりで散策を楽しんでいたとか。
そんな春の日の散策からインスピレーションを得て、「春の小川」が生まれた……と伝わっています。
(高野博士が長野県中野市出身であることから、「春の小川」は長野県内の川では?という説もあるようです)
■地下に追いやられてしまった春の小川

春の小川(イメージ)写真:photo-ac
メダカや小鮒が気持ちよさそうに泳いでいる姿が眺められるほどのきれいな流れ、岸辺を彩る春の花々、暖かい日差し……春の小川の曲を聴くと、どこか懐かしいうららかな春の日の風景が目に浮かびます。
そんな美しい風景が楽しめた小川は、残念ながら時の流れとともに当時の姿をすっかりと失ってしまいました。
今や、暗渠(あんきょ※)となり、春の日差しも全く差さず両岸を彩る花々もなく、ひっそりと渋谷の地下で息をひそめています。
そのきっかけは、1964年の東京オリンピックにあったのでした……
※暗渠:蓋をして地中に埋設された河川や水路

1964年東京オリンピック放送を観戦する市民(写真:wikipedia)
【後編】に続く……
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