100年以上の年月を経ても、愛されている春の歌「春の小川」。

その春の小川は実在する川で、東京都渋谷区代々木界隈を流れていた「河骨川(こうほねか)」がモデルとされています。


両岸には可憐な春の花々が咲き、魚たちが遊ぶ姿が眺められるほど清らかだった「春の小川」は、1964年の東京五輪を機に、光の差さない暗闇でひっそりと流れている暗渠(あんきょ)へと、変わってしまいました……なにが起こったのでしょうか。

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さらさら流れる「春の小川」はいずこ?東京五輪を機に地下に埋設され渋谷の地下でひっそりと【前編】

■時代とともに変わって行った春の小川

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 渋谷川。河骨川は、渋谷川の支流・宇田川に合流する。(写真:photo-ac)

春の小川の作詞者である国文学者・高野辰之博士が、この歌の詩を書いた頃。

河骨川も、魚たちが泳ぐ姿が容易に見つけられるほど水は透明で、両岸にはレンゲやスミレなどの春の花が咲き、それはのどかで美しい風景だったのでしょう。

河骨川は、渋谷川(※1)の支流である宇田川(※2)に合流していた小川でしたが、戦後は徐々に生活排水などで汚染され、以前の姿は失われていきました。

※1 渋谷川:渋谷駅南から、天現寺橋(広尾)までの2.4Kmを流れている二級河川

※2 宇田川:代々木4丁目・初台・西原・大山町・上原などを水源とした複数の支流を持つ川。中でも、「春の小川」のモデルで会った河骨川は、最も大きな支流といわれている。

■初の東京オリンピック開催に向け暗渠化

さらさら流れる「春の小川」はいずこ?東京五輪を機に地下に埋設され渋谷の地下でひっそりと【後編】


 1964年の東京五輪開会式で整列する各国競技団(写真:wikipedia)

昭和36年。

「東京都市河川計画 河川下水道 調査特別委員会 委員長報告」に基づき、日本で初の東京オリンピック開催に向け、東京では都市の近代化が進められていました。

そして、主に山手の河川の上流部を中心とし、河川に蓋をして暗渠(※1)化し下水道への転用が進めたれたそうです。


今聞くと、「自然に流れている川に蓋をして、道路を作り地下に沈めてしまう」……というのは、なんとももったいないような、乱暴な気もします。

しかしながら、当時は東京五輪に向け都市の近代化が推奨されていたとともに、以下のような問題がありました。

●当時の東京は下水道整備が遅れていた

●川の汚染が進み悪臭が問題視

●河川舟運(川を使い物資や客を輸送すること)の利用が無くなった

●川遊びもできない状態になった

このような理由で、汚れた川を保つよりも利便性のほうを優先したそうです。

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 渋谷川の一部(写真:photo-ac)

その後1980年代には、東京都は河川の埋め立てを行わないようになり、渋谷川の一部は開渠(※2)となりました。

※1暗渠:蓋をして地中に埋設された河川や水路

※2開渠:蓋をしていない河川や水路

■代々木に残る春の小川の記念碑

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 小田急線参宮橋-代々木八幡駅間の線路沿いにある『春の小川』の歌碑(写真:wikipedia)

現在、「春の小川」のモデルだった河骨川の記念碑が、小田急線「代々木八幡駅」近くの線路沿い(代々木5丁目65番地)に建っています。

地元の篤志家・伊井勝美氏が建造して渋谷区に寄贈したもので、刻まれている春の小川の歌詞は、作詞者である高野辰之博士のご息女・弘子さんの書によるものです。

お近くに行った際には、ぜひ立ち寄って昔のきれいな春の小川に思いをはせてみてくださいね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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