今回は近江国(現:滋賀県)の戦国大名・浅井(あざい)氏に仕えた浅井井規(あざい いのり。以下、井規)のエピソードを紹介したいと思います。
■主君・浅井長政の「またいとこ」浅井井規
浅井井規は生年不詳、浅井氏の一門衆で今浜菅浦(現:長浜市)の代官を務めた浅井井伴(いとも)の子として誕生しました。主君・浅井長政(ながまさ)とは再従兄弟(またいとこ、はとこ)の関係になります。
浅井氏略系図
祖父・浅井井演(いひろ)は永禄4年(1561年)に築かれた横山城(現:長浜市)の城代を任されており、主君より篤く信頼されていたことが察せられます。
元亀元年(1570年)ごろには長男の浅井井頼(いより。喜八郎)も生まれ、いよいよ奉公にも熱が入ろうというところへ、にわかに暗雲が立ち込めてきたのでした。
尾張国(現:愛知県西部)の小大名と思っていたら、いつしか美濃国(現:岐阜県南部)をも併呑して瞬く間に勢力を伸ばしてきた織田信長(おだ のぶなが)との激突が不可避となったのです。
■木下秀吉の調略により、次々と寝返る仲間たち
「もはや浅井は落ち目、今の内に織田方へ与(くみ)しようぞ!」
いつの世にも機を見るに敏な手合いはいるもので、信長の部将である木下秀吉(きのした ひでよし。後の豊臣秀吉)の調略によって、仲間が次々と織田に寝返っていきます。

浅井家臣団を切り崩すべく、調略に駆け回った秀吉(イメージ)。
「おのれ……七郎(井規の通称)よ、織田に寝返った鎌刃城(現:滋賀県米原市)の堀石見(ほり いわみ。
「ははあ……っ!」
元亀2年(1571年)、鎌刃城を攻め立てた井規でしたが、あと一歩というところで木下秀吉の援軍が駆けつけ、形勢逆転されてしまいました。
「馬鹿な……木下は横山城で釘づけだったはず……!」
横山城を守っていた大野木秀俊(おおのぎ ひでとし)らは秀吉の調略によって降伏。浅井氏の本拠地・小谷城(長浜市)へ落ち延びたフリをして、実は秀吉と内通するスパイとなったのです(井規がそれを知るのは、後のことです)。
「多勢に無勢……者ども、退け!退けぇ……っ!」
這々(ほうほう)のていで小谷城へ逃げ帰った井規ですが、彼にもまた秀吉の調略が迫っていたのでした……。
■秀吉に内通、浅井氏の滅亡
「……馬鹿な!主君を裏切るなど出来ぬ!」
秀吉から送られた密使の誘いを、井規は断固としてはねつけます。しかし、密使も老練でした。
「最初は皆さん、誰もがそう言うんですよ……ククク……でもね、今にきっと、あなたの方から『織田殿に取り成して下さい』って懇願するようになりますよ……何せ、皆さんそうですからね……ククク……」
密使が何を持ちかけたのかは分かりませんが、結果として井規は秀吉への内通を決断。提示された見返りに目がくらんだか、もしかしたら、まだ幼い喜八郎を人質にとられたのかも知れません。
「……それがしの守るところはあえて隙を作るゆえ、そこから突入されよ……」

「七郎よ、そなたまで……!」自害する長政(イメージ)。
かくして天正元年(1573年)9月1日、難攻不落を誇った小谷城がついに陥落。浅井長政は自害して果てたのでした。
「「「さぁ、約束ぞ。
井規はじめ秀吉の調略に応じた浅井家臣らは、次々に約束を果たすよう求めます。が……。
■刑場の露と消える
「約束?はて、何のことやら……」
浅井氏の攻略を機に木下から羽柴(はしば※)と名字を改めていた秀吉は、素知らぬ顔で言い放ちました。
(※)織田家中の重臣・丹羽長秀(にわ ながひで)と柴田勝家(しばた かついえ)にあやかろう=取り入ろうと、それぞれの名字から一文字ずつとったそうです。こういうところが、実にあざといですね。
「御屋形様は、そなたら『裏切り者を、決して許さず処断せよ』との仰せじゃ」
「……そんな殺生な!」
「おのれ、最初からそのつもりで我らを謀(たばか)ったのか!」
「この腐れ外道め……馬鹿、猿、ハゲ鼠……っ!」
口々に罵声を浴びせる連中を鼻で嗤(わら)って畳みかけます。
「黙らっしゃい!よいか、騙すとは信頼を裏切ることであり、敵を惑わすはむしろ武略のあらわれ……そなたらは心に隙があったからこそ欲に目がくらみ、主君を裏切ったのであろう……武士の風上にも置けぬわ!」

主君を裏切った者の末路(イメージ)。
後悔先に立たず……ぐうの音も出ないまま、浅井の旧臣たちは刑場の露と消えてしまったのでした。
「木s、もとい羽柴殿。わしはどうなってもよい。どうか、どうか喜八郎だけは……」
懇願する井規に、秀吉は優しく答えます。
「安心せぇ。
「忝(かたじけな)い……!」
かくして井規も処刑され、遺された喜八郎は秀吉に保護されて成長。やがて元服して浅井井頼と改名し、羽柴(後に豊臣)政権下で活躍するのですが、そのエピソードはまたの機会に。
※参考文献:
小和田哲男『近江浅井氏の研究』清文堂出版、2005年4月
宮島敬一『浅井氏三代』吉川弘文館、2008年2月
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