江戸時代には「吉原」という大人の遊び場があり、現代でいうところの「ソープランド」のような役割を果たしていました。

江戸には、幕府が公認した唯一の遊郭「吉原」と、幕府非公認の遊女屋「岡場所」があり、男性たちの懐事情によって通う場所が違っていたようです。


そこでこの記事では、「吉原」と「岡場所」の費用や遊び方などの違いのほか、現代の性風俗との違いについても紹介したいと思います。

■「吉原」とは

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画像:写真AC

現代の性風俗店では、ソープランドに例えられることの多い「吉原」。飲み屋街で例えると、「銀座の高級クラブ」といったところでしょう。幕府が公認した、唯一の「遊郭」で、2,000~3,000人の遊女がいたそうです。

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また、現代での3月末頃には根の付いた桜の木を植えて桜並木を作ったり、季節ごとの花を植えたりと粋で幻想的な場所だったと言えるでしょう。

どんな客が通っていたのか
江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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吉原が日本橋にあった頃は、客の中心は武士でした。しかし、浅草の千束(現在の台東区)に移転してからは、商人や職人といった町人が客層となっています。

町人のなかには知識や教養のある人が多かったため、「吉原」は江戸の最先端をゆくスポットとなっていったのです。

ただし、花魁のような上級ランクの遊女の元に通えたのは、町人のなかでも豪商や豪農、藩主の邸宅で留守を務める「藩邸の留守役」などのお金持ちのみでした。

どんな遊女がいたのか
江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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武士の客が中心だった頃に最高ランクだったのが、芸事や教養などを兼ね備えた「太夫」で、江戸中期以降は、散茶女郎が最高ランクとなり「花魁」と呼ばれています。

散茶女郎とは、「湯を足すだけで飲める散茶は、袋を振る必要がない」ため、これをかけて「客を振らない」「客を断らない」という意味です。

客層が変わって芸事などが重要視されなくなった花魁の時代、花魁たちは、男性を魅了するための色気やテクニックを日々磨いていたようです。


最高位は10万円超!?江戸吉原の最高級の遊女「花魁」と言っても更に細かい階級がありました

必要なお金 花魁のように、ランクの高い遊女との床入りには3回通うことが必須で、そのためには現在のお金で約100万円もの大金が必要でした。

ただ、同じ「吉原」のなかの上級遊女でも、部屋持(花魁時代のランク)では1晩3万ほどだったため、支払金額は雲泥の差だったのです。

「吉原」での遊びかた
江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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最高ランクの遊女と床入りするためには、3回は通う必要がありました。

1回目は「初会」と言い、遊女が客の品定めをします。客は離れて座ることしか許されず、飲食したり話したりもできません。

2回目は「裏」と言い、1回目よりも遊女と近い距離で座ることが許されるものの、あとは1回目と同じで、飲食や会話はできないのが基本です。

3回目でやっと「馴染み」となれるものの、「馴染み金」なる祝儀を支払わなければならず、自分の名前が入った食器と箸がプレゼントされます。

そして「馴染み」となった3回目で床入りとなるのが基本的な流れだったようです。

最高ランクの遊女以外は、1晩で床入りできることがほとんどだったようですね。

■「岡場所」とは

「吉原」がソープランドなら、「岡場所」はリーズナブルな「デリヘル」や「ヘルス」といったところでしょう。飲み屋に例えるなら、通いやすい価格の「キャバクラ」や「ガールズバー」です。

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「岡場所」は、多いときでは江戸市中に70か所ほどもあったと言われてます。


幕府非公認だったため、幕府に取り締まられて潰されては、いつの間にかまた復活するということを繰り返していたようです。

どんな客が通っていたのか 「岡場所」に通っていた客のほとんどが、「吉原に行くお金がないけれど、女性は抱きたい」という庶民たちでした。

ただ、リーズナブルなその価格から、吉原に通っていた客も通うことが増えたようです。

どんな遊女がいたのか
江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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岡場所で働く遊女は「子供」と呼ばれていましたが、本当の子供ではなく、多くの女性が20代半ば過ぎでした。

夫や子供がいる女性も多かったようです。

幕末から明治中期にかけて活躍した浮世絵師「月岡芳年」は、深川にあった岡場所にておつまみと酒を運ぶ姿を描いています。

このことから、岡場所の遊女のなかには、給仕や雑用をこなしていた女性(飯盛女)もいたことがわかりますね。

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必要なお金 現代のお金で約1,000円~1万4,000円ほどだったようです。

年齢が高くなるなど需要がなくなれば値段が安くなり、若くて人気のある遊女は値段も高かったという点は、「吉原」や現代とも同じと言えます。

「岡場所」での遊びかた
江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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男性に支払ってもらえる金額が少なかったため、岡場所の遊女たちは、1人でも多くの客を取る必要がありました。

また、夢や幻想よりも欲望を満たしたいという男性が多かったようで、岡場所は、「さっさと性欲を満たして帰る場所」だったようです。


■現代の性風俗との違い

江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い


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江戸時代では、性行為をおこなう「本番行為」が普通であり公認されていましたが、現在は、ソープランドでもデリバリーヘルスでも性風俗での本番行為はNGとなっています。

これは、1956年に施行された「売春防止法」によるものです。

「売春防止法」の成立は、日本が国連へ加盟するために、人身売買を禁止するなど国連が採択していた条約を受け入れなければならなかったことがキッカケでした。

そして現代では、「売春防止法」により、金銭などと引き換えに複数の相手と性行為をおこなう「買売春」などが禁止されています。

買売春とされるためには「性交」が要件となるため、現在の性風俗では買売春の対象外となっている、口や手を使っておこなう性交類似行為を採用。

本番行為をしなければ「性交」の要件を満たさないため、ソープやデリヘルは売春防止法ではなく風俗営業法に則って合法化され、営業しているのです。

■欲望と快楽を満たす場所

江戸時代と現代では、同じ性風俗でも「本番行為が禁止されている」といった肝心な部分で大きな違いがあります。

けれど、男性が欲望と快楽を満たす場所であるということに違いはなく、ひとときの甘い夢を見るために金銭を支払うということに変わりはありません。

そんな男性たちを魅了し、虜にする女性たちが多い場所であることも、江戸時代から変わらないことなのかもしれませんね。

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