実は、この新旧1万円札の顔、「福沢諭吉」と「渋沢栄一(しぶさわえいいち)」は年齢差5歳。
しかも接点や共通点も多いのです。
そこでこの記事では、2人がどんな人物であったのか、また、同じ時代を生きた2人の接点や共通点についてみていきましょう。
■「福沢諭吉」とは
画像:写真AC
福沢諭吉(1834年~1901年)は、幕末から明治にかけて生きた人物で、「学問のすすめ」などを執筆して世間に影響を与えた思想家です。
アメリカでの体験をもとにまとめた「西洋事情」も25万部のベストセラーとなっています。
1984年から1万円札の顔となり、2004年にデザイン変更がなされ、現代も私たちの生活で流通している紙幣のひとつです。
■「渋沢栄一」とは

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渋沢栄一(1840年~1931年)は、幕末から明治にかけて生きた人物で、藍の栽培や藍玉の製造をする農家に生まれたものの、明治政府の役人を経て実業家となりました。
日本で初めて銀行をつくったほか、サッポロビールや東京ガス、帝国ホテルなど、たくさんの会社づくりにかかわり、その数は約500とも言われています。
また、商業学校や大学をつくって商売人の教育にも力を注ぎ、日本の経済発展に貢献しました。
2024年からは、1万円札の顔となることが決まっています。
■共通点1:身分にこだわらない2人

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明治時代の日本人10人に1人が読んだと言われる、諭吉の大ヒット作「学問のすすめ」には、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と云えり」と記されています。
さらに読み進めると、「学べば偉くなって暮らしも豊かになり、学ばなければ貧乏になる」ことや「学ぶことが優劣の差を埋める武器となる」という文言も。
これは、「人は生まれたときは平等だが、学ぶことを放棄すれば貧富や身分の差は開いていく」という意味で、現代においても共感できる内容となっています。
栄一は身分にこだわらず、江戸時代ではいちばん身分の低かった商人たちの「商売」を大切なものとして世に広めています。
■共通点2:海外で学んだ2人

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海外で学ぶ人が少なかった明治の時代、栄一はフランスやアメリカ、ヨーロッパなどの国へ行っていますし、諭吉もアメリカやイギリス、ロシアなどへ行っています。
広い世界をみて感性を磨き、上手に取り入れたことも、2人が成功した大きな要素のひとつと言えるでしょう。
■共通点3:身分制度を憎んだ2人

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江戸時代、財政不足を補うために幕府や藩などが、商人などに応急的に命じたお金を御用金と言います。
年貢のように返済されるわけでもない御用金を集めるにもかかわらず、威張り散らしている代官の態度に、栄一は反発。封建的な身分制度を憎むことにつながりました。
下級士族の子として生まれた諭吉もまた、「門閥制度は親のかたき」と言い、身分制度を憎んでいます。
「門閥制度」とは、武士の子供であれば武士になる、農民の子供であれば農民になる、など、生まれた家の身分や地位を引き継がなければならない仕組みのことです。
■栄一に手紙を書いた諭吉

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1878年頃、諭吉が栄一に宛てた手紙が大分県中津市の「福澤記念館(福澤諭吉旧居・記念館)」にて公開されていたこともあります。
2人は親密とまではいかなかったものの、長きにわたって親交がありました。
■栄一のコラムを執筆
明治26年6月11日、諭吉が発行していた新聞「時事新報」に、「一覚宿昔青雲夢」というタイトルで記事が掲載されています。
執筆したのは諭吉で、内容は、「役人での出世を目指す風潮のなか、役人を辞め、経済を発展させるために実業家としての道を選んだ栄一の生き方に共感した」というものです。
このことから、諭吉が栄一のことを高く評価していたことがうかがえます。
■新旧1万円札を並べてみれば

渋沢栄一の坐像がある深谷駅 画像:写真AC
1万円札の顔に選ばれた福沢諭吉と渋沢栄一は、どちらも日本の発展には欠かせなかった素晴らしい歴史偉人です。
幕末から明治と同じ時代を生きた2人は、この記事で紹介したように共通点もあり、長きにわたる親交もありました。
新旧1万円札を手元に置いて眺めれば、2人のことをもっと知りたくなるかもしれません。
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