紙幣の、しかも一番高額な1万円札に印刷されるぐらいですから、立派な人であったことは間違いありません。
それでも、実は「超」の付く女好きだったという驚きのエピソードもあります。
渋沢栄一とは
渋沢栄一は、埼玉県出身の実業家です。
有名企業や銀行を創設しており、栄一が関わった企業は500を超えるとも言われています。そして、その功績から「日本経済の父」や「日本資本主義の父」と呼ばれている人物です。
実業家になる前、栄一は、明治政府の官僚をしていました。
そのとき、フランスで行われていたパリ万博へ視察に行き、「日本の近代化」の必要性を感じて実業家に転身しています。
渋沢栄一が設立に携わった会社

栄一は、現代でも活躍し続ける下記のような会社を設立し、日本の社会発展に大きく貢献しました。
・現在のみずほ銀行
・東京瓦斯(現在の東京ガス)
・東京証券取引所
・東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災保険)
・王子製紙
など
渋沢栄一と徳川慶喜は仲良し

戊辰戦争後、静岡に定住した徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は隠居生活を送っています。
しかし、幕府の崩壊によって職を失った元幕臣たちは慶喜を恨んでいたため、仲の良かった人物は栄一くらいだったといいます。
栄一は、幕末の頃より敬愛していた慶喜に経済支援をし、慶喜はこの恩を忘れないようにと家人に言い残していたのだとか。
2人の親密な関係は、慶喜が亡くなるまで続いたといわれています。
女好きでもあった渋沢栄一

栄一は「超」のつく女好きであり、「いろんな意味で生涯現役」と揶揄されることもありました。
奥さん以外にも複数の妾がおり、花柳界(色街界隈)では5本の指に数えられるほどの女好きだったようです。
フランスへ学びに行ったときには、現地の女性を愛人にするなど呆れるほどの女好きで、20人もの子供がいたと言われています。
時代の流れとともに変わってきたお札

1万円札のいちばん最初の顔に選ばれたのは、聖徳太子です。
聖徳太子の1万円札が使われていた期間の日本は、高度経済成長の波に乗り、経済面とともに文化面でも大きな進歩を遂げました。
聖徳太子の次に1万円札の顔に選ばれたのは、福沢諭吉です。
現在でも使われている1万円札なので、いちばん馴染みが深い紙幣だという人も多いのではないでしょうか?
福沢諭吉の1万円札になってからは、初の純国産大型ロケットが打ち上げられたりITバブルが到来したりと日本に大きな進歩があり、現在も進歩し続けています。
反面、バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災や新型コロナウイルスなど大変なことがたくさん起こったことも記憶に新しいでしょう。
2024年以降はどんな年に?
渋沢栄一が新1万円札の顔となる2024年以降は、一体どんな年になるのでしょうか?
新札の出現に、いまからワクワクしてしまいますね。
さまざまな企業創設にかかわり成功させた栄一の縁起を担ぎ、1万円札を使って起業してみるというのもいいかもしれません。
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