みなさんは、“大奥”と聞いてどのようなイメージを持ちますか?

ドラマやマンガで描かれることの多い大奥ですが、「女の人ばっかりなんでしょ?」「ドロドロしてそう」など、漠然とした印象を持っているのではないでしょうか。しかし、そんな大奥の世界をもっと具体的に知ることができる方法があるんです!

それが、今回ご紹介する「大奥すごろく」です!

大奥の身分や役職をコマにしたすごろく「奥奉公出世双六」で学ぶ...の画像はこちら >>


■大奥すごろくとは?

この記事でご紹介する大奥すごろくの正式名称は「奥奉公出世双六(おくぼうこうしゅっせすごろく)」と言います。


これは、大奥勤めの女性たちの身分・役職・役目をコマにした出世すごろくです。江戸時代に暮らす女性たちにとって、このすごろくで描かれる、“大奥へ働きに出て、将軍の側室になる”というのは、出世の可能性を大いに含んだ、夢のある世界でした。

実際に町民・庶民層から大奥勤めに入る女性は少なかったと言われていますが、はっきりした身分制度があった江戸時代において、武家の出身でなくても出世できるかもしれない、という夢は、多くの女性たちが持っていたのではないでしょうか。

コマ数は全部で28個あり、「ふりはじめ」からはじまり、「上り」でゴールとなります。

■苦労も多い下働き時代

奥女中の身分には、大きく分けて2つあります。それは、将軍や御台所に目通りすることができる、「御目見以上」と、目通りすることができない「御目見以下」です。

その、「御目見以下」の中でも「御はした」という、大奥の雑用を受け持つ下女は、給料も現代でいう90万円ほどしかなく、苦労も多かったといいます。

■少し出世!

まだ「御目見以下」は抜け出せないものの、少し出世すると、「御仲居(おなかい)」や「御末」(おすえ)」といった職種につきます。「御仲居(おなかい)」は御膳所にて料理の煮炊きを担当し、現代でいうところの“食堂係”でしょうか。

ちなみに、御台所にお茶をだす役割は別にいて、「御茶之間(おちゃのま)」と呼ばれました。「御末」(おすえ)は、掃除お風呂・御膳所用の水を汲んだり、大奥内での駕籠かきなどを担当しました。

基本的に男性のいない大奥では、こうしたけっこうな肉体労働も女性が行っていたのですね。


■ここまで行けば立派なもの!いよいよ「御目見以上」に

大奥すごろくもコマをすすめていくと、「呉服間(ごふくのま)」「御次(おつぎ)」など、いよいよ「御目見以上」となります。

「呉服間(ごふくのま)」とは、将軍と御台所の着物など衣装一般の仕立て・裁縫を行う役割です。

「御次(おつぎ)」は、さまざまな道具の運搬から、対面所の清掃まで、現代でいうところの総務係のような仕事を担当しました。

■大奥の最高位は?

大奥での最高の職は、名誉職でもある「上臈御年寄(じょうろうおとしより)」です。御台所の相談役となり、約2700万円の収入に加え、年金や退職金もあったと言われています。しかし、大奥の実質的なリーダーであり、権力者であったのは、「上臈御年寄(じょうろうおとしより)」よりも少し身分が下である「御年寄(おとしより)」でした。

大奥の万事を取り仕切り、表でいうところの老中のような存在でした。収入は約1500万だったといいます。

いかがでしたか?

御年寄などの上位職は大きな権力も収入も得られ、「御はした」などから考えれば給料もとても魅力的で、当時の多くの女性たちが夢見たこともうなずけるのではないでしょうか。

それをわかりやすく町民の女性たちに伝える役割を担った大奥すごろくは、大きな意味があったのではないかと思っています。

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