みなさんは、「大奥」と聞いてどんなイメージを持ちますか?

映画やドラマで見るような、ドロドロとした世界が広がっていた、と思う方も多いかもしれません。そんな大奥ですが、多い時には約3000人もの女中がいたといわれています。
そんな大人数をまとめるには、ルールが必要。

今回は、そんなたくさんの女性たちがいた大奥の性生活について、しきたりやルールと一緒にご紹介したいと思います。

将軍と性行為したら一生出られない!?女性の園、江戸城 大奥で...の画像はこちら >>


■大奥の厳しいルール

大奥は、数多くの女中たちをまとめるため、多くの厳しいルールやしきたりがありました。まず、門限は午後6時。これは春日局のような大奥の権力者であっても厳守しなくてはならなりませんでした。

また、一度でも将軍とセックスしたら江戸城から一生出ることはできず、その後の結婚も許されなかったそうです。非常に厳しく残酷にも思えますが、これは、将軍の“夜の様子”や秘密を外部に漏れるのを防ぐためだったといわれています。

■将軍と性行為ができたのは少数

大奥にいるのは女性だけ、と思う方も多いかもしれませんが、実は「老中」と呼ばれる現在でいう大臣にあたる位の高い武士や、医者など男性も出入りしていました。そのため、男性は少数でありながらも、「女性だけ」の世界ではありませんでした。

とはいえ、将軍一人に対して女中が多く、その女中たちになかでも、将軍と性行為ができたのは、基本的に正室か側室に限られていました。

■30歳以降はセックスレス?

将軍と性行為したら一生出られない!?女性の園、江戸城 大奥での性生活のしきたりやルール


女中たちのなかでも、将軍との性行為が許されたのは20代の女性だけでした。これは、医療も現代ほど発展しておらず、とりわけ30代での出産は高齢出産にあたった当時、女性にとって非常に危険が伴うものだったからと言われています。


このしきたりは、「御褥辞退(おしとねじたい)」という名前でした。そのため、30歳以降は基本的にセックスレス。女性同士の疑似恋愛行為はあったと伝えられていますが、それも多くはありません。

また、寺社参詣を言い訳にして、役者や陰間(かげま)と性行為をする女中もいたそうですが、こちらもごく一部。大多数の女中は、静かに暮らしていたことになります。

いかがでしたか?

多くの女性がいた大奥の、性にまつわるルールやしきたりをご紹介しました。現代の間隔からするとびっくりするような内容もありますが、そんな状況の中、江戸城の奥女中たち

はたくましく生きのではないかな、と想像します。この記事が少しでも歴史に興味をもつきっかけになれば嬉しいです!

こちらも合わせてどうぞ

大奥の女中も御用達だった?江戸時代の大人のおもちゃ事情

擬態的な同性愛という奇妙な風習。遊郭や大奥など「女の園」にあった類似点とは?

江戸時代に大奥女中をオトしまくり出世を目論んだイケメンエロ僧侶は存在した!【前編】

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ