罪を犯した者には、罰が与えられる。極刑があることは現代でも同じですが、江戸時代にも、命をもって罪を償う「死刑」がありました。
しかし、死刑と一言で言っても、その種類はなんと6つもあったといいます。

そこで今回は、江戸時代の死刑制度、そしてその種類に着いてご紹介します!

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注意)直接的な表現や描写はなるべく避けていますが、当記事には、死刑にまつわる用語が出てきます。苦手な方は、ご遠慮いただければ幸いです。

残酷すぎる…獄門、磔、鋸挽、江戸時代の死刑の種類はなんと6つ...の画像はこちら >>


■制度は未整備!?

江戸時代の初期ごろまでは、刑罰についての目安や制度もしっかりと確立されてはいませんでした。そのため、刑罰を判定する時期や地域、人などによって、その重さが違ったといいます。

1747年(寛保2年)になると、8代将軍・徳川吉宗が「公事方御定書」を制定し、刑罰についての公平性が確立したといわれています。これは司法や警察関係の基本法令が載っている江戸幕府の法典ですが、しかし、内容を知っていたのは町奉行・勘定奉行・寺社奉行の三奉行だけでした。

■死刑の種類はなんと6つ!

江戸時代、庶民の死刑には6種類あったといわれています。刑の軽いものから順番に、下手人(げしゅにん)、死罪(しざい)、獄門(ごくもん)、磔(はりつけ)、鋸挽(のこぎりびき)、火罪(かざい)、です。

下手人(げしゅにん)とは 死刑の中で最も軽い刑である下手人。牢の中で首を斬られます。首を斬られるという点では次にご紹介する死罪と同じですが、下手人の場合は、身内がいれば遺体を引き取って埋葬することができました。


死罪(しざい)とは 下手人の次に軽い刑とされる死罪。言葉が似ていて区別が難しいですが、命を絶つ刑を「死刑」と呼び、「死罪」は「死刑」の一つでした。下手人と同じく、首を斬る刑ですが、そのあと遺体を使って「様斬(ためしぎり)」をされたのが死罪でした。

刀の斬れ具合を試すために死体を斬る様斬に使われてしまうとは、なんとも悲しく思えてしまいますね。

獄門(ごくもん)とは 死罪より思い獄門。獄門とは、首を斬ったあと、その首を3日間さらされるというものです。さらし首、という言葉がよりわかりやすいかもしれません。

磔(はりつけ)とは 磔は獄門よりも重い刑で、刑場で十字架をした罪木に縛り付けられ、槍によって命を絶たれます。獄門は斬首のあと見せしめとされましたが、磔は生きているうちから人々の見せしめとされました。

また、死後3日間もその姿はさらされました。

鋸挽(のこぎりびき)とは 磔でも充分残酷な刑ですが、鋸挽はさらに重いものです。鋸という言葉が使われていますが、江戸時代では実際に鋸で殺すことはなかったようです。


市中引き廻しのあと、広場の土の中に埋められ、首から上だけ出した状態で3日間晒されました。

火罪(かざい)とは 死刑のなかでも最も重い刑罰が、火罪でした。江戸時代は火事が多く、一度起きると人々の生活の場所や財産を奪ってしまうことから、放火犯にはこの刑が処されました。柱に縛り付けられたのち、火あぶりにされました。

いかがでしたか?

現代から考えると、なかなか厳しく、こちらも気分が悪くなってしまいそうなものばかりですが、死罪や磔などの公開処刑は一般の人々も見ることができたため、大勢の見物人がその様子を見届けていたといいます。

学校の歴史ではなかなか知ることのできない、江戸時代の死刑についてご紹介しましたが、この記事がみなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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