そんなお家騒動があったのは、現代だけでなく、江戸時代も同じ。
今回は、そのなかでも有名な、仙台の「伊達騒動」をご紹介します!
■伊達騒動とは?
伊達騒動(正式には寛文事件と呼ばれる)とは、江戸時代前期に伊達氏仙台藩で起こったお家騒動です。
寛文11年(1671年)、仙台藩重臣の原田甲斐(はらだかい)が、おなじく仙台藩の伊達安芸(だてあき)を酒井雅樂頭(さかいうたのかみ)邸で斬殺した事件です。安芸暗殺後、原田甲斐を阻止しようとした柴田外記(しばたげき)・蜂屋可広(はちやよしひろ)が抜刀。酒井家家臣が原田・柴田・蜂屋を斬り、計4名が亡くなった事件です。
山本周五郎『樅ノ木は残った』(小説・およびそれをもとにした大河ドラマ) や、「伽羅先代萩」(めいぼくせんだいはぎ)という歌舞伎の演目にもなっています。
■伊達騒動のきっかけは?
伊達騒動が起きたきっかけは、事件の11年前、万治3年(1660年)に伊達家三代目藩主・伊達綱宗(だてつなむね)が21歳の若さで放蕩三昧・不行跡を理由に幕府に隠居を命じられたことにさかのぼります。
その後藩主となった亀千代の後見人として、伊達兵部宗勝(政宗の十男)と田村右京宗良(政宗の孫)が指名されました。後見人となった伊達兵部は、藩権力の集権化をすすめ、それに反対する伊達安芸らと対立することになります。
伊達安芸はこの問題を土地争いと絡めて幕府に上訴し、酒井邸で伊達家関係者への尋問が行われることになりました。その場で、上記の騒動が起こりました。
■原田甲斐は悪人ではない?
伊達騒動の真相は、現在でも明らかになっていないことが多いです。
特に、作家・山本周五郎の『樅ノ木は残った』は、原田甲斐を伊達家を救った忠臣として描いています。
いかがでしたか?この伊達騒動、戦国時代や幕末期のような派手さはありませんが、小説や歌舞伎の演目になるなど、注目を集めています。
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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