令和4年(2022年)の放送予定ながら、三谷幸喜氏の脚本や豪華なキャスト陣の出演によって早くも話題の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。

鎌倉幕府の執権として武士の世を切り拓いた主人公・北条義時(ほうじょう よしとき)の生涯が描かれていく中で、欠かせないのが次世代を託す子供と、その母親となるパートナーの存在。


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北条義時。『承久記絵巻』より

公式サイトではまだキャストが発表されていないようですが、さすがに妻が登場しないということはないでしょうから、これから誰が演じるのか楽しみですね!

……というわけで、今回は北条義時が熱愛した正室・姫の前(ひめのまえ)について紹介したいと思います。

■「権威無双」の女王様キャラ?

姫の前の生年および実名は不詳、父は比企尼(ひきのあま)の嫡男・比企朝宗(ともむね)。後に「鎌倉殿の13人」の一人となる比企能員(よしかず)は義理の叔父(※)に当たります。
(※)朝宗は永らく男児に恵まれず、比企尼が能員を猶子に迎え、比企の家督を継がせました。

成長した姫の前は源頼朝(みなもとの よりとも)公に女官として仕えていましたが、大層な美貌で知られ、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』ではこのように紹介されています。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


頼朝公にお仕えする姫の前(イメージ)

比企の籐内朝宗が息女、当時権威無双の女房なり。殊に御意に相叶う。容顔太(はなは=甚)だ美麗なり

「殊に御意に相叶う」とは、特にお気に入りだったことを意味し、デレデレと鼻の下を伸ばしていた頼朝公と、それを横目で睨みつけ、お尻をつねり上げる妻・北条政子(まさこ)の姿が目に浮かぶようです。

本人も頼朝公のお気に入りだったことを自覚していたようで、「権威無双」とは頼朝公の寵愛を後ろ盾に高飛車な振る舞いや、あるいはそれらしき気配を発していたものと考えられます。

現代なら「女王様」キャラと言ったところでしょうか。彼女が「姫の前(大意:お姫様みたいな女性……良くも悪くも)」と呼ばれるのも納得ですね。


そんな姫の前に恐らく数々の御家人たちが魅了され、告白されたもののあえなく撃沈する者、あるいは「高嶺の花」過ぎて尻込みしてしまったものと思われます。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


御家人たちの求婚にうんざりする姫の前(イメージ)

「まったくドイツもコイツも……今が花盛りの寵愛と引き換えてまで一緒になりたい男なんて、そうそういるモンじゃないわ!」

普通、女性にアプローチをして「脈なし」と分かれば、それ以上は時間のムダなのですぐに引き下がるものですが、何度フラれても諦めない、しつこい男が一人……それが義時でした。

■何度フラれても諦めない義時

「そなたに一目惚れしてこの方、ひとときたりとも忘れられぬ……どうか、我が妻となっては下さらぬか!」

「しつこいっ!」

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


姫の前へのラブレターを書こうと、気もそぞろな義時(イメージ)

何度となく断っても繰り返し消息(手紙。ここではラブレター)を送って来る義時に、姫の前は辟易します。現代ならストーカー認定間違いなしですね。

時は建久2年(1191年)、義時は29歳、長男の北条泰時(やすとき)は9歳になっていました。

現代なら「妻子持ちのくせに、他の女に色目を使うなんてサイテー!」と思ってしまいますが、泰時の母である阿波局(あわのつぼね。義時の妹とは別人)は身分が低かったため、正式な妻とはしていなかったのです。

だから大丈夫……いや、やっぱり現代的にはサイテーですが、当時の武士たちにとって「キチンとした妻を迎えて、その実家から支援を受ける」ことは勢力基盤を固める上で重要な問題でした。

(つまり、阿波局の実家である佐々木一族とは顔つなぎ程度につき合い、姫の前の実家である比企一族のバックアップを得たかった意図もあったでしょう)

「ちゃんと正室としてお迎えいたしますからっ!」

「そういう問題じゃありませんっ!」

とまぁ、そんなすったもんだが一年にも及んだと言いますから、二人のことはきっと鎌倉じゅうの噂となっていたことでしょう。

「……また小四郎(義時の通称)がフラれたってよ」

「姫様も、あれだけ惚れられれば女冥利も尽きようが、やっぱり嫌なモノは嫌じゃろうな」

「しかしまぁ、花は咲けば必ず散るもの……その花びらが、小四郎の手に落ちればいいがのぅ」

「どっちが根負けするか、賭けるかい?」

市井の噂にお互いうんざりしていた義時と姫の前。いい加減この問題に決着をつけてもらうべく、二人揃って頼朝公の前に訴え出ました。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


「まったく、仕方ないな……」二人の仲介を頼まれた頼朝公(イメージ)

「御殿、どうにか(結婚できるよう、姫の前を説得)して下され!」

「御殿、どうにか(義時が諦めてくれるよう、説得)して下され!」

まったく同じ二人のセリフ、意味は真逆なんだろうな……頼朝公は苦笑い。

「まぁ……そなたらの噂はかねがね聞いておったが……時に小四郎。この姫の前が我が意中なることは知っておるな」

「は」

「なればこそ、滅多な者に引き合わせとうはないが、他ならぬそなたがたって(の願い)とあらば、考えぬでもない」

「「……!」」

内心で義時はガッツポーズ、姫の前は落胆した様子が手に取るようにわかります。

「じゃが、これほどの美女を手放すのであるから、おいそれと捨ててしまうようでは仲介する我が沽券にもかかわる。よって『決して離縁せぬ』と起請文を進ぜよ」

離別を致すべからざるのむね、起請文を取りて行き向かふべきのよし

「ははあ、天地神明に誓って離縁致しませぬ……!」

姫の前を正室に迎えられるなら、起請文など何枚でも書いてやる……かくして建久3年(1192年)9月25日、義時は頼朝の仲介によって姫の前を正室に迎えたということです。

■エピローグ・男たち女たちの駆け引きは続く

その後、姫の前は建久4年(1193年)に次男の北条朝時(ともとき)、建久9年(1198年)には三男の北条重時(しげとき)を授かり、末永く幸せに暮らした……と言いたいところですが、そうはなりませんでした。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


比企一族の滅亡(イメージ)

建仁3年(1203年)9月に勃発した「比企能員の変」によって実家の比企一族が滅ぼされたため、姫の前は離縁されてしまいます。

「まぁ、そんなものでしょうね……」

伝手を頼って上洛した姫の前は、公卿の源具親(みなもとの ともちか)と再婚。元久元年(1204年)に源輔通(すけみち)を、その後に源輔時(すけとき。後に北条朝時の猶子)を生み、承元元年(1207年)3月29日に亡くなりました。

一方の義時は御家人・伊賀朝光(いが ともみつ)の娘・伊賀の方を継室に迎え、元久2年(1205年)に四男・北条政村(まさむら)、承元2年(1208年)に五男の北条実泰(さねやす)を生みます。

そして、元仁元年(1224年)6月13日に義時が急死すると、伊賀の方が擁立する北条政村と、北条政子が擁立する北条泰時による執権の跡目争いが勃発するのですが、それはまた別のお話し。


大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では誰が演じる?北条義時が熱愛した正室・姫の前


執権の座を争った北条政村(左)と北条泰時(右)

「華やかな源平合戦、その後の鎌倉幕府誕生を背景に
権力の座を巡る男たち女たちの駆け引き──」
※公式サイトより。

以上、ごくざっくりと義時と姫の前の結婚エピソードを紹介してきましたが、他にも義時は側室を迎えており、そちらの方々とも色々なやりとりがあったことでしょう。

これらすべてを限られた放送時間の中で描き切るのは難しいでしょうが、誰が登場してどのように活躍するのか、今から楽しみですね!

※参考文献:
永井晋『鎌倉幕府の転換点 『吾妻鏡』を読みなおす』NHKブックス、2000年12月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月
森幸夫『北条重時』吉川弘文館、2009年9月

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