しかし首というものは意外と重く、成人男性だと5キロほどもあって一つ持ち運ぶだけでも大変。
そこで、気の利いた者はわざわざ首を持ち歩かず、確かに「自分がその首をとった(その者を倒した)」証拠として耳や鼻を削いでおき、戦さが終わった後でゆっくり回収したそうです。
鼻を削がれた武将。「小牧長久手合戦図屏風」より
耳や鼻を削いでおけば、たとえその首を持ち去られてしまっても、論功行賞に際して「その者はそれがしが倒した」と持っていた耳や鼻を合わせれば、自分の手柄を証明できます。
ただ、人間の首というものは耳や鼻を削いでしまうと、意外に男性だか女性だか判らなくなってしまうもの。
(当時は男性も髪を伸ばしており、中央の月代さえ剃り上げてしまえば、首の腐敗もあっていよいよ見分けがつきにくくなります。中性的な顔立ちの者であれば尚更でしょう)
そこで中には敵ではなく非力な女性を殺し、その首を持って手柄を水増ししようとする者もいたようで、そんな不正がまかり通ったら当局は商売上がったりです。
一方、真面目に戦っている者としても、せっかく死闘の末に奪ってきた首を疑われるのは面白くないので、ひと工夫を加えたのでした。
■決め手はヒゲ
一五○ 古老の侍、上髭さがり、そり候事は、陣中にて首を取り候印に、耳鼻をそぎ候節、男女の紛れこれなきため、髭さがりを加へ、そぎ候なり。その時、髭さがりこれなき首は女に紛れ候故、打ち捨て候。死後に首を捨てられざる様にとの嗜なり。【意訳】古老の武士が戦さで敵の首をとった証拠として、耳や鼻と一緒に髭さがり(垂れ下がった髭の生えた部分)を削いだのは、女の首と疑われないためである。
※『葉隠』十一巻より
髭がついていないと女と見分けがつかない(手柄にカウントされない)ため、打ち捨てられてしまう。
(討たれるのは仕方ないとしても)首を粗末に扱われるのは忍びないので、日頃から髭を整えておいたのである。
【補足】原文を読むと、文法的に意味がつながっていなかったり、矛盾していたりするように見える部分がありますが、これは作者・山本常朝(やまもと じょうちょう)の口述を、聞いたまま書き写したことによるものですから、ニュアンスで把握してもらえればと思います。

耳と鼻だけだと、意外に性別は判らないもの。
……耳を削ぐなら頬ヒゲを、鼻を削ぐなら口ヒゲをつなげて削ぐことで、この耳鼻の持ち主が男性≒敵である証明としたのですね。
もちろん、それが民間人でなく敵であることの証明は別個に必要となるものの、少なくとも「女の首を狙った卑怯者」という誹りは免れることが出来るでしょう。
また、いざ自分が首を奪られてしまった場合でも、ヒゲが残っていれば男性であることが証明できるため、少なくとも打ち捨てられることはなかったと言います。
なので、日ごろからヒゲを整えておくことが武士の嗜みとされたようですが、女性としてみれば好きで戦さに出た訳でもないのに、殺された上に奪られた首まで打ち捨てられてしまっては、たまったものではありませんね。
■終わりに
古今東西、多くの命が失われるのが戦さであるとは言いながら、手柄を偽装するために女性の首まで狙うとは、卑怯な輩もあったものです。
しかし武士も食わねば生きては行けず、また妻子や一族を食わせるためなら、女の首であろうとなりふり構わず引っ掻き集め、褒美のワンチャンに賭けねばならない事情もあったのでしょう。

「これで、少しは男の人っぽく見えるかしら?」首級の偽造に励む女性たち(イメージ)
「これは若武者の首にございますれば、どうか恩賞を!」
何より恥ずべき行為であるのは百も承知、それでもしぶとく生きていくため、家族のために必死で強弁した武士たちの姿は、厳しい時代を表していると共に、どこか現代人にも通じるところが感じられます。
※参考文献:
古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月
清水克行『耳鼻削ぎの日本史』洋泉社、2015年6月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan