「ほら、洩らしちゃうから早くトイレに行きなさい!」
「ちょうど今いいところなんだよ……あともう少し……うーん」
「あともう少しで、この問題が解けそうなのに……!」
テレビだったらコマーシャルが入るまでとか、ゲームだったらセーブするまでとか、ちょうどよい区切りにならないと、なかなかトイレに立てない気持ちは、大人になっても変わらないもの。
「今ひらめいたこのアイディアを書き留めておかないと、トイレに流れてしまうかも知れない……!」
しかし、世の中にはトイレの事すらも忘れて物事に集中して取り組んだ結果、偉業を成し遂げた人物もいました。
今回はそんな一人、戦国時代の名軍師として知られた竹中半兵衛(たけなか はんべゑ。重治)のエピソードを紹介したいと思います。
■我が子に施したスパルタ教育
竹中半兵衛は天文13年(1544年)9月11日、美濃国の戦国大名・斎藤道三(さいとう どうさん)の家臣・竹中重元(しげもと)の子として誕生しました。

禅幢寺蔵・竹中半兵衛肖像
13歳で初陣を飾って以来、数々の武功を立てますが、それは武力ではなく知略を駆使したもので、女性のように柔和な外見と相まって、同輩からは侮られていたようです。
「小手先の策で敵を惑わして、それで勝ちを拾ったとて、何の誉れと言うべきか」
しかし、半兵衛には「戦わずして勝つ」ことを最上とする信念があり、ひとたび兵法・軍略に向き合えば、尋常ならざる意欲で学び取ったと言います。
「百戦して百勝したとて、有為の人材をあたら討ち取っては天下の損失。それよりも志を同じくして万民を幸(さき)わせることこそ、君子のとるべき道と言えよう」
その情熱は嫡男・左京(さきょう。後の竹中重門)の教育にも反映され、徹底的なスパルタ教育を施したそうです。
■戦さ場で、敵に「厠」と言えるのか?
ある時、半兵衛の軍物語(いくさものがたり)を聞いていた左京は、ふと尿意を催してしまいました。
「あの、父上……」
「何じゃ、講義中に私語をするな!」
普段の温厚で優しい父はどこへやら、鬼の形相で半兵衛が詰問します。
「厠(かわや。トイレ)へ……」
「ならぬ!」
「も、洩れそう……」
「ならばここでせぇ!」
「そんな……」
ここに小便をたれるとも、軍物語をしている大事な席を立ってはならぬ……説話集『常山紀談(じょうざんきだん)』によると、半兵衛はそのように左京を叱ったそうです。

「こらっ!真面目に聞け!」過去の戦訓が、ここ一番の活路につながることも(イメージ)
ちなみに、軍物語とは過去の合戦について語り聞かせることですが、ただの昔話とは違いれっきとした軍学の一環で、当時の合戦における勝因/敗因を探り「自分ならどうするか」を真剣に検証する場でした。
「たわけ!軍物語を聞く時は、自分が『いま戦さ場にいる』ものと思えと教えておろう!それとも何か?そなたはいざ戦さ場において、敵に『厠に行きたいから、しばし待て』とでも頼むつもりか!」
演習を演習と思って臨んでは、いざ本番に実力が出ない。我が身の生き死にがかかっている場面で、厠もへったくれもあるものか……そんな常在戦場の精神を叩き込んだお陰で、左京もまた名将に成長して数々の武勲を立てたのでした。
■終わりに
「(武略で身を立てる)竹中の子が、武道の咄(はなし)に聞き入り、座敷を汚したと言われれば、それは我が家の面目である」
※『常山紀談』より

竹中半兵衛の銅像。Wikipediaより(撮影:Monami氏)
いや、掃除をする身にもなってくれと言いたくなってしまいますが、天才は何とかと紙一重と言うように、一つ道を究めて世の役に立つ人は、中途半端な常識など度外視して突き抜けていったことがよく解ります。
でも、トイレを我慢するのは身体に悪いし、その場でしてしまうと後始末が大変なので、皆さんはちゃんとトイレに行って下さいね。
※参考文献:
池内昭一 編『竹中半兵衛のすべて』新人物往来社、1996年1月
一個人編集部『戦国武将の知略と生き様』KKベストセラーズ、2014年4月
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