■前回のあらすじ

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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」佐藤浩市の熱演に期待!上総介広常の強烈なキャラクター【上】

時は平安末期、平家打倒に挙兵した源頼朝(みなもとの よりとも)公に加勢するか否か、その将器を見極めていた坂東の大豪族・上総介広常(かずさのすけ ひろつね)。

二万騎にもなる大軍を掻き集めて傲慢に振る舞ってみせたところ、頼朝公はこれを毅然と拒絶。


「これでこそ、君主のとるべき態度である」

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歌川芳虎「大日本六十余将 上総介広常」

頼朝公に男惚れした広常は忠誠を誓ってその傘下に加わり、平家打倒の勢いは、ますます盛んになるのでした……。

■上洛よりも、坂東で気ままに暮らそうぜ!

その後、富士川の合戦(治承4・1180年11月)で京都から遠征してきた平家の討伐軍を撃退した(と言うより、水鳥の羽音に驚いて逃げて行った)頼朝公は、この勢いで一気に京都まで上洛を果たそうとしますが、広常は他の宿老たちと共に坂東の地固め(上洛に反対)を主張します。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」佐藤浩市の熱演に期待!上総介広常の強烈なキャラクター【下】


水鳥の羽音に驚いて逃げ出した平家の軍勢。『平家物語』より

「ナンデウ(なんじょう)朝家(ちょうか)ノ事ヲノミ身グルシク思ゾ。タダ坂東ニカクテアランニ、誰カ引ハタラカサン」
※『愚管抄』より

【意訳】どうしてそんなに朝廷に取り入ろう(近づこう)とするんだみっともない。坂東に君臨していれば、誰からもこき使われず気ままに暮らせるのに……。

かつて坂東で独立を宣言した「新皇」平将門(たいらの まさかど)に代表される如く、とかく坂東人は昔から権威(を振りかざす者)を嫌い、中央政権=朝廷に対して距離をとろうとしてきました。

もし彼らの意に背いて足元が覚束ないまま上洛を強行すれば、悲惨な最期(※)が待っていることを予感したのか、流石の頼朝公も広常らの忠告に従い、坂東の地固めに励んだということです。

(※)少し後のことになりますが、頼朝公のライバルとなった木曾義仲(きその よしなか)は緒戦の勝利に任せて上洛を強行し、京都で暴れ放題であったため、ほどなく滅ぼされてしまいました。

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勢いで上洛を果たしたものの、勢力基盤が脆弱で滅び去った木曾義仲ら。喜多川歌麿「木曾冠者源義仲及其一門」

清和源氏の嫡流として京都で生まれ育った頼朝公としては、一刻も早く京都へ「里帰り」して「故郷に錦を飾り」たいところだったでしょう。

しかし、亡父にゆかりのある鎌倉を整備していく内、次第に鎌倉を故郷と感じるようになっていくのですが、それはまた別の話。


■古参の老臣・岡崎義実との大喧嘩

さて、頼朝公の武士団にとって欠くべからざる柱石となっていた広常ですが、彼は偏屈なキャラクターで周囲を辟易させることもしばしばありました。

例えばある時、宴会の席で老臣の岡崎悪四郎義実(おかざきの あくしろうよしざね)が頼朝公に褒美をねだり、頼朝公は着ていた水干(すいかん。男性装束の一種)を与えたところ、義実はもう大はしゃぎ。

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宴もたけなわ(イメージ)

やれ嬉しや、あぁ嬉しや……くるくると袖を舞わし、あまりの無邪気さに「かの豪傑悪四郎(にくらしいほど強い四郎、の意)も、御殿の水干に童(わらべ)のようじゃ」と周囲も大爆笑。大盛り上がりだったところへ、嫉妬したのか広常が憎まれ口を叩きます。

「この美服は広常が如きが拝領すべきものなり。義実の様なる老者が賞せらるるの条、存外」
※『吾妻鏡』より

【意訳】こういう立派な装束は、この広常のような立派な者にこそ似合い(から拝領すべき)であって、義実みたいな老いぼれにくれてやるなんぞ、もったいないわい!

これにカチンときた義実、老いたりといえども悪四郎の顔になって反論しました。

「広常功有るのよしを思ふといへども、義実が最初の忠に比べ難し。更に対揚の存念有るべからず」
※『吾妻鏡』より

【意訳】てめぇ、大軍を恃みに偉そうなことを言いやがるが、御殿の挙兵当初から馳せ参じ、石橋山の窮地を駆けずり這いずり切り抜けた我が忠義とは比べ物にならぬわ!後からノコノコやって来て、対等なクチを利こうとするンじゃねぇ!

「うるせぇ!てめぇらがしっかりしてねぇから、御殿が窮地に立たされたンだろうが!後だの先だの偉そうに言ってンじゃねぇよ!」

「やンのかコラ……!」

互いに刀へ手をかけたところ、御家人・佐原十郎義連(さわらの じゅうろうよしつら)の機転で事なきを得たそうですが、いやはやまったく困ったものです。

■何人に対しても下馬などせぬ

……またある時、頼朝公が浜辺を馬で散歩していたところ、多くの御家人が平伏したところ、広常だけは下馬することなく会釈で通り過ぎました。

「いくら何でも無礼であろう!」

御家人の一人が咎めたところ、広常は平然として答えます。

「公私共に三代の間、未だその礼を成さず」
※『吾妻鏡』より

【意訳】祖父の代から、誰に対してであろうとわざわざ下馬して礼をとることはない。


むしろ「この自分が会釈してやっているのだから、それで十分だろう」と言わんばかりの傍若無人。主君である頼朝公に対してさえもこの態度です。

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傲岸不遜な広常に憤る御家人たち(イメージ)

「御殿、あの人も無げなる振る舞いを見逃れまするか!」

「まったく、主に対して何という不忠……!」

己の武力と軍勢を恃みにその矜持を貫き通す坂東武者らしさと言えばらしさですが……これでは今後、武士団の秩序を保っていく上で差し障りが出てしまうでしょう。

「……まぁ、悪気もないのであろう。捨て置け……今はのぅ」

悠然と去っていく広常の背中を見送り、頼朝公は静かに御家人らを宥めました。

■広常を暗殺せよ!梶原景時に指令下る

「……お呼びにございまするか」

「来たか、平三(へいざ)」

時は寿永2年(1183年)12月、頼朝公は御家人の梶原景時(かじわらの かげとき。平三)を呼び、広常の暗殺を命じます。

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頼朝公の懐刀として「汚れ役」に徹した梶原景時。歌川国芳「秩父重忠 梶原景時」

「……やはり、ご謀叛で」

「いや、確証はまだない」

先日、広常は上総国一宮・玉前神社(たまさきじんじゃ。現:千葉県長生郡一宮町)に甲冑を奉納し、その兜の緒に、一通の願文(がんもん。祈願文)が結びつけてあったと言うのです。

「願文は既に神仏へ帰するものなれば、その文面を検(あらた)めることは叶わぬものの、それをよいことに何かよからぬ事を祈願しておるやも知れぬ」

「確かに、根拠は薄うございますな」

「この際、あやつの本心はどうでもよい。
我らが鎌倉において、誰よりも多くの兵を従え、我が意に沿わず御家人らとも諍いの絶えぬ者が、神仏に『何か』奏上いたせば、それに乗じて動きを起こす者がおらぬとも限らぬ」

事実、広常の影響力はそれだけ強大なものであり、もしそれがマイナスに作用してしまえば、頼朝公の武士団はたちまち崩壊してしまうリスクをはらんでいました。

「……御意」

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双六に興じる広常と景時(イメージ)

命を受けた景時は広常を双六(すごろく。現代のバックギャモンに近いゲーム)に誘い、大いに盛り上がったところ、一瞬の隙を衝いて一刀のもとに斬り捨てたそうです。

■エピローグ

しかし、広常は冤罪でした。一宮へ奉納された甲冑の願文を見ると、その内容は頼朝公の武運長久を願うものばかり。

「これは……」

「先に申したであろう……『その本心は問わぬ』と」

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奉納された甲冑には、広常の誠が供えられていた(イメージ)

頼朝公は自らの狭量を恥じ入り、謀叛の連帯責任で処罰してしまった遺族らを赦免。広常を懇ろに弔ったということです。

味方になれば頼もしいが、敵に回すと恐ろしい……濃厚なキャラクターが忘れられない上総介広常の生涯を駆け足で辿ってきましたが、佐藤浩市さんの配役(※)にピッタリではないでしょうか。

(※)記憶にある限りでは、大河ドラマ「新選組!」の芹沢鴨(せりざわ かも)や、映画「のぼうの城」の正木丹波守(まさき たんばのかみ)など、武骨で癖の強い役が多い印象です。

こういう曲者揃いの武士団を束ね上げる「鎌倉殿」と、それを支える主人公・北条義時(ほうじょう よしとき)の苦労が偲ばれますが、今から放送が楽しみですね!

【完】

※参考文献:
上杉和彦ら『戦争の日本史6 源平の争乱』吉川弘文館、2007年3月
細川重男『頼朝の武士団 将軍・御家人たちと本拠地・鎌倉』洋泉社、2012年8月

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