江戸時代の浮世絵師、鈴木春信(すずきはるのぶ)の作品の中にも蓮の花を描いたものがありますのでご紹介しましょう。
■蓮は泥より出でて泥に染まらず
風流六哥仙 僧正遍昭 画:鈴木春信 出典:ColBase(httpscolbase.nich.go.jp)
上掲の浮世絵は鈴木春信の描いた『風流六哥仙 僧正遍昭』です。
作品の上部に僧正遍昭の和歌が書かれています。
蓮(はちす)葉の にごりにそまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
これを訳すと以下のような意味になります。
“蓮の葉は、泥水の中に生えながら濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうして葉の上に置く露を玉と見せて人をだますのか”
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」という言葉をご存知の方は多いと思いますが、『法華経』という仏教の経典の中では「世間の法に染まざること蓮華の水に在るが如し」と記されており、これがこの和歌の根底にあります。
釈迦が自ら説法をした『阿弥陀経』の中では
池の中に蓮華あり、大きさ車輪の如しとあり、極楽浄土には蓮の花が咲いており、蓮の花は「蓮華の五徳」という極楽浄土に生まれることのできる条件を兼ね備えていると花だとさえ言われているのです。
(阿弥陀経)
それを“どうして葉の上に置く露を玉と見せて人をだますのか”と詠うとは、意味の深い歌だと思われます。
しかし、鈴木春信はこの和歌を選んだのです。この和歌に共感する部分があったからではないでしょうか。
■浮世絵の内容について
絵の内容を見ていくと、揚げ帽子を被った奥女中の女性と思われる人物が二人、石橋の上に立ち蓮の花を眺めています。眺めているというよりは在るものを見ているようでもあります。
季節は梅雨も終わるか終わらぬかという頃で、一人の女性は手に傘を持ち、二人ともが蒸し暑いのか扇子を手にしています。
二人の女性の視線の先を追うと、真下に蓮の葉があります。

風流六哥仙 僧正遍昭(部分) 画:鈴木春信 出典:ColBase(httpscolbase.nich.go.jp)
左側に立つ女性の真下の蓮の葉の上にだけ、中央に露の玉が描かれているのです。また女性の表情に着目してみると、

風流六哥仙 僧正遍照(部分2) 画:鈴木春信 出典:ColBase(httpscolbase.nich.go.jp)アイキャッチ
鈴木春信に描かれる人物には表情がないと言われることがあります。しかしこの女性の目を見てみると、蓮の露をみて何かもの思うようにも見えます。
■僧正遍昭とは
遍昭(へんじょう)は、弘仁7年(816年)に生まれた平安時代前期の僧・歌人であり。俗名は良岑 宗貞(よしみねの むねさだ)です。
桓武天皇の孫という高貴な生まれで、仁明天皇に仕えたました。
850年に仁明天皇が崩御すると出家し、70歳の時に僧正となりました。そして僧正遍昭の名で知られるようになります。
六歌仙および三十六歌仙のうちの一人です。
35歳という若さで出家した僧正遍昭は大変な美男子だったようで、女性に好意を持たれることが多かったようです。百人一首で取り上げられている歌も、
天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ
“天空の風よ、天上と地上を結ぶ道をとざしておくれ。美しい天女の舞を、今しばらくみていたいから”
というロマンティックな歌です。
ただしこれは出家前に詠まれた歌であり、僧正遍昭は出家前と出家後の和歌の傾向が変わった言われています。
■まとめ
天皇の孫という高貴な立場にありながら、自ら出家して僧となり、“僧正”という位の高い僧となった僧正遍昭。
きっとその人生の中で色々なものを見聞きしてきたことでしょう。そのような高僧である人物が詠った歌がこの歌なのです。
蓮(はちす)葉の にごりにそまぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく
“真の悟り、真の聖、真の心の清浄を得るということ”がどれほど困難なことであるか、ということではないかと筆者は読みましたが、皆さんはどうでしょうか。
(完)
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