豪族の氏神からやがて庶民への信仰へと移っていった「稲荷信仰」とその経緯
お稲荷さんといえば、油揚げを奉納する習慣がありますよね。
大友稲荷 奥の院(新潟県新発田市)
お稲荷さんにとって、キツネは神様のお使いで、そういう存在を「神使」といいますが、本来、油揚げはこのキツネに供えるものでした。油揚げといえば、現在のわれわれは、薄切りにした豆腐を油で揚げたものを想像しがちですが、キツネに供えていたものは、普段私達が食べている油揚げではありません。
先の記事にも書いたように、日本では古くから農耕を行っていたので、農作物を荒らすネズミはとても迷惑な存在でした。いっぽうで、野ウサギや鳥など自分より小さい生き物を食べる野生のキツネは人々にとって、害獣ネズミを食べてくれるとてもありがたい存在でした。
そこで、狐の巣穴の前に好物であるネズミを油で揚げた「ネズミの油揚げ」を置いていく習慣ができたそうです。その後、肉食殺生を嫌う仏教の影響で、次第に大豆を油で揚げた「油揚げ」を供えるようになっていったと考えられます。
そんなお稲荷さんと油揚げの関係から登場したのが、稲荷寿司。甘辛く煮た油揚げの中に、酢飯を詰めたお寿司です。

稲荷寿司 Wikipediaより
稲荷寿司について記載してある最古の史料として、江戸時代後半の江戸・京都・大阪の風俗、事物を説明した百科事典的な書物『守貞謾稿(もりさだまんこう)』というものがありますが、それによれば天保末期には「稲荷鮨」「篠田鮨」として販売されていたようです。
篠田鮨としたのは、葛の葉の伝承と結びつけられていたのかもしれません。
その稲荷寿司の影響を受けて誕生したのが「きつねうどん」。
その後、うどんの中に油揚げが入った状態のものが現れ、それが今日私たちのしっているきつねうどんの形として定着しました(別の説ではうどんの中に入ってる油揚げの様子がきつねがうずくまる姿に似ていることによるとの解釈もあるようです)。
このような経緯からすっかり油揚げにはきつねのイメージが定着してしまったようで、現在においても我々日本人は、油揚げのことを「きつね」という風になりました。お稲荷さんと我々日本人は、食を通しても、切っても切れないご縁があるのですね。
参考
- 五来 重監修『稲荷信仰の研究』(山陽新聞社 1985)
- 西村元三朗, 川上行蔵 『日本料理由来事典』(同朋舎出版 1990)
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