みなさんは、「売茶翁」という名前を聞いたことがありますか?

そもそも筆者も初めてこの名前を見た時は、「なんて読むんだろう……」と思ってしまいました。確かに、学校で習う基本的な日本史には出てこないかもしれませんが、実は、日本でも人気のあるお茶を広めた人物なのです。


今回の記事では、そんな売茶翁について詳しくご紹介します。

■売茶翁ってどんな人?

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売茶翁像(部分)

売茶翁は、「ばいさおう」と読みます。

江戸時代に生きた、黄檗宗(おうばくしゅう)の僧です。黄檗宗とは、日本の三禅宗のなかで江戸時代に始まった一宗派です。延宝3年(1675年)肥前蓮池道畹(現・佐賀県佐賀市)の藩医の家に生まれ、宝暦13年(1763年)に亡くなりました。

11歳(12歳という説もあります)で出家し、22歳のときには修行不足を恥じ江戸や仙台など各地に出かけたと言われています。千利休は侘び茶の祖で茶聖と呼ばれていますが、売茶翁は、煎茶の祖で茶神と呼ばれています。彼は、日本における煎茶の地位を確立しました。

■煎茶を広めた売茶翁

「売茶翁」の読み方わかる?茶神として煎茶の地位を確立した偉大なる”煎茶の祖”


そもそも煎茶とは、緑茶の一種とされており、茶葉を蒸して揉みながら乾燥させて作ります。初めて煎茶を作ったのは、京都の永谷宗円。宗円の作った煎茶を売茶翁はとても気に入ったと言われています。

以前は、飲茶は上流階級の文化でしたが、売茶翁はそれを庶民にまで広めました。
それは、彼が長崎で煎茶を学んでから。60歳を過ぎていたといいます。

彼は京都の鴨川の近くに、「通仙亭」という茶店を作りました。この茶店は、日本初の喫茶店、とも言えます。そこで、煎茶を振る舞いながら禅を解いたり、時には文化について人々と語り合ったと言います。

売茶翁は、どんな人でも分け隔てなく接したため、多くの人から愛され、茶店は人々の集いの場となりました。

いかがでしたか?今回は、私たち日本人にもなじみの深い、煎茶を庶民に広めた、売茶翁についてご紹介しました。身近なお茶を広めた人物について、少しでも知っていただけたら嬉しいです。

今回の記事が、みなさんが普通の日本史の授業では習わないことについても興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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