父はかの有名な今川義元(いまがわよしもと)。お父さんと比べると、氏真自身の印象は薄いかもしれませんが、実は、彼が行きた戦国時代から江戸時代のなかでも、かなりユニークな生涯を過ごした存在なのです。
そこで、今回の記事では、そんな今川氏真についてご紹介します。
今川氏真像
■今川氏真(いまがわうじざね)ってどんな人?
今川氏真(いまがわうじざね)は、天文7年(1538年)に、今川義元と武田信虎の娘である定恵院とのあいだに生まれました。
今川家はもともと、足利将軍家の親戚筋にあたる、由緒ある家でした。氏真も、公家の文化に触れて育ったといわれています。歌や蹴鞠を好みました。
今川義元(歌川国芳 画)
永禄元年(1558年)、父が存命のうちに、氏真は今川家の家督を継ぎました。その理由は、義元が駿河から西へ侵略をするためと言われています。
永禄3年(1560年)に起きた桶狭間の戦いで父・今川義元が亡くなると、周りの国から責められるように。しかし、この後の行動が氏真をユニークな存在にしています。
というのも、彼は国を捨てて、妻・早川殿の実家である北条氏のもとへ逃げたのです。
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そして、最後には徳川家康にごくわずかな領地を与えられ、慶長19年(1615年)に亡くなりました。
■氏真は負け組ではない
「逃げる」という、武士としては恥ずかしく情けない行いをした氏真は、「能力が皆無」「だめ人間」などと酷評されてきました。今川家は父の代で東海道一の大名、と呼ばれましたが、氏真の代で戦国大名としては滅亡してしまいます(“戦国大名”ではなくなった)。
一家の滅亡、というと、家族全員の命が奪われる、という印象が強いかもしれませんが、今川家は“今日から戦国大名ではなくなりました”といったイメージということです。
また、近年では、氏真を再評価する声も出ています。例えば、「楽市」を織田信長よりも先に手がけました。また、彼が得意だった蹴鞠も、武家が身に付ける立派な実技と思われていました。
今川氏真に関してはぜひこちらの記事もご覧ください。
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いかがでしたか?今回は、今川氏真(いまがわうじざね)についてご紹介しました。
今回の記事が、みなさんが普通の日本史の授業では習わないことについても興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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