明治時代は産業だけでなく、娯楽もさまざまな進歩を遂げました。娯楽や遊びにはどんなものがあったのか、錦絵で見ていきたいと思います。


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■歌舞伎

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《久松町劇場 久松座繁栄図》歌川広重三代 明治12(1879) 明治期に新しくできた劇場

明治期になると、歌舞伎は現代劇や西洋との融合を図ります。

明治の時代背景を描写し、洋風の物や語を前面に押し出した演目・散切物(ざんぎりもの)が公演されたり、外国人にも見てもらうを考慮して、役者が英語を話すこともありました。

明治24(1891)年公演の「風船乗評判高閣」では、洋装の五代目尾上菊五郎が気球で舞台上へ舞い上がり、花道から戻ってくると「Ladies and gentlemen!」と客席に挨拶したそうです。

これは、前年に流行したスペンサーの風船乗り(気球乗り)を真似たものでした。

錦絵でみる明治時代の娯楽や遊び。海水浴、気球船、潮干狩り、サーカスまで描かれていた!
《風船乗評判高閣》五代歌川国政 明治24(1891)

■気球船

明治期に西洋から入ってきたものの一つに、気球がありました。

こちらは明治10年に築地の海軍の敷地内で行われた、気球の公開実演の様子が描かれています。

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《築地海軍省於 操練場風船試之図》五代歌川国政 明治10(1877)

当時話題になっていたのがイギリス人の曲芸家・パーシバル・スペンサーで、ガス気球に乗って遥か上空まで飛んでいき、落下傘に乗り換えて帰還する芸が人気でした。

■勧進大相撲

勧進相撲(かんじんずもう)とは、寺社の本堂や山門などの造営・修復に要する費用を捻出するため開催した相撲を言います。

こちらは明治より少し前ですが、ペリー来航の際、幕府が関取たちを総動員し、取組を披露した時の様子を描いたものです。

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《勧進大相撲繁栄之図》一曜斎国輝

■チャリネ大曲馬団

明治19(1886)年、イタリア人チャリネが率いる曲馬団が東京で興行し、大評判となりました。

外国のサーカスは日本の軽業などに比べて規模も大きく、また当時の日本には珍しい動物が登場したり、芸種も豊富だったことが人気の理由です。

「チャリネ」はサーカスを意味する言葉となりました。


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《チャリネ大曲馬御遊覧之図》楊洲周延 明治19(1886)

■競馬

日本で競馬が初めて行われたのは文久年間、横浜居留地の外国人たちによって開催されました。

当時の競馬は庶民の娯楽というより、上流階級の社交場とされていました。

上野不忍池湖畔には大規模な競馬場が作られ、欧米の競馬場にも劣らない施設となりました。

錦絵でみる明治時代の娯楽や遊び。海水浴、気球船、潮干狩り、サーカスまで描かれていた!
《上野不忍競馬会之図》楊洲周延 明治18(1885)

■花見

明治期になっても、花見は相変わらず人気でした。

下の作品は上野公園の花見です。

男性はシルクハットをかぶり、女性は洋傘を持っています。

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《 東京名所之内上野公園地桜花盛之景》 三代広重 明治13(1880)

こちらは江戸城内でのお花見です。

江戸時代には禁止されていた江戸城内の様子も、明治期になると描けるようになりました。

錦絵でみる明治時代の娯楽や遊び。海水浴、気球船、潮干狩り、サーカスまで描かれていた!
《 千代田大奥 御花見》楊洲周延

■潮干狩り

お花見と並んで、江戸時代から続くレジャーの潮干狩り。

カゴの中にはたくさんの貝が見られます。子ども達の姿も多いですね。

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《江戸風俗十二ケ月の内 三月 潮干狩の図》楊洲周延 明治23(1890)

■海水浴

海水浴を楽しむ女性や子どもの姿が描かれています。


水着を着た女性もいます。当時の水着は現代の水着とは異なり簡単な洋服のようなもので、縞の模様が流行しました。

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錦絵でみる明治時代の娯楽や遊び。海水浴、気球船、潮干狩り、サーカスまで描かれていた!
《大礒海水浴 富士遠景図》小国政

■花火大会

現在もたくさんの人に愛される隅田川の花火大会ですが、実は江戸時代から続いています。

当時は「両国川開き」と呼ばれ、夕方になると川べりに屋台が並んだり、花見を見るための船が出たりしました。

こちらは明治の両国川開きの様子。

「明治丸」の号がかっこいいですね。

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《両国川開きの花火》楊洲周延 明治27(1894)年

このように見てみると、あらゆるアクティビティや催し物が錦絵として描かれていたんですね。錦絵はその時代の風俗、流行などを大きく反映したものであったことがよくわかります。

参考:

浮世絵とは?錦絵との違いや版画ではない肉筆浮世絵など作品と共に紹介します

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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