47都道府県のうち、都道府県名が3文字なのは神奈川、和歌山、鹿児島の3地域のみで、残りの44の地域は全て2文字の表記になっています。

実は、これは奈良時代に出された朝廷の方針が元になっています。


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今を遡ること約1300年前の713(和銅6)年、奈良平城の都で、全国六十余国に向かって命令が発せられます。

その命令とは、郡内の物産品目、土地の肥沃度、山川原野の名前とその由来、土地の伝承などをまとめた報告書の提出をすること。その際に、各国ごとに郡や里などの地名は”縁起の良い漢字2字”を用いることでした。

特に、各国ごとに郡や里などの地名に縁起の良い漢字2字を当てることに関しては、「好字二字化令」とも呼ばれるもので、当時日本が国のお手本にしていた唐の地名が漢字2字で表記されていたことによります。

のちに『風土記』と呼ばれるその報告書、現在ほぼ完全に残されているものは、常陸国(茨城県)、播磨国(兵庫県)、出雲国(島根県)、豊後国(大分県)、肥前国(佐賀県・長崎県)の5か国のもののみですが、この他の地域も他の古文書などに引用された形で一部伝えられています。

この風土記の編纂により、3文字以上で表記されていた「波伯吉国」や「吉備道中国」などの国名は「伯耆国(ほうきのくに)」、「備中国」にそれぞれ改められ、逆に「粟国」や「木国」といった1文字表記だったものは、「阿波国」「紀伊国」などに改められたのでした。

こうした2文字化の動きは全国的に徹底して行われたようで、10世紀初頭に成立した『和名類聚抄』という史料では、すでに全ての国名が漢字2文字で揃えられており、 〝国”の下に当たる単位〝郡”についても、薩摩国の鹿児島郡1つを除いて2文字表記となっています。

日本の地名や苗字に漢字2文字が多い理由。奈良時代の朝廷からの命令がきっかけ


倭名類聚鈔 部分

その結果、現在使われている県名も慣例的に2文字で表記されるものが多くなったのです。また、苗字は地名から取られることが多かったため、結果的に苗字に2文字のものが多くなったのでした。

参考

  • 池田光則 『歴史と文化を知る 日本地名ルーツ辞典』(1992 イスタナ書店)
  • 浅井 建爾『地理と地図が大好きな人のための日本の地名雑学事典』(2005 日本実業出版社)
  • 倭名類聚鈔 20巻


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