しかし、昔は薬に簡単にアクセスできませんでした。そこで今回の記事では、日本における薬の歴史について詳しくご紹介したいと思います!
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■薬の始まり
日本において、6世紀ごろまで薬に関する記録はほとんどなく、その様相があきらかになっていません。しかし、例えば縄文時代の人々はその生活スタイルから植物の知識が深く、その住居の跡からは、植物のキハダが発見されており、それは薬に使われたものと思われています。
乾燥させて生薬に
また、歴史書「古事記」のなかには、稲羽の白兎の負傷に対して蒲黄(ガマの花粉)を用いたということが書かれています。しかし、この当時は加持祈祷が病気治療の主な方法でした。
■飛鳥・奈良・平安時代における薬
大和時代ごろから、大陸から治療法と薬物が日本にもたらされました。また、459年には、百済の意志が来日し、難波の薬師の始まりとなりました。
飛鳥・奈良・平安時代になると、遣唐使・遣隋使の派遣によって、他の様々な文化とともに、医学の知識もさらにもたらされました。さらに、来日した鑑真は薬にも詳しく、鼻で薬をかぎ分けることができたそうです。
また彼は、聖武天皇の夫人・光明皇太后の病気を治したとも言われています。平安時代には、東市に「薬廛(やくてん)」と呼ばれる薬を商う場所がありました。
■安土桃山時代、織田信長の薬草園

安土桃山時代には、キリスト教の伝来とともに、南蛮外科という切り傷などの外傷を直す方法が日本にもたらされました。また、織田信長は、ポルトガル出身の宣教師、フランシスコ・カプラルの勧めで、伊吹山に薬草園を作らせたといいます。そして、そこには西洋の薬草が約3000種も栽培されていたそうです。
織田信長が薬草園を開いていた?戦国時代にはどんな薬が使われていたのか
いかがでしたか?今回の記事では、意外とみなさんに知られていない薬の歴史をご紹介しました。この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
トップ画像:本草図譜より
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