お雪
ジョージ・モルガンは、アメリカのモルガン財閥創始者の甥で、当時は恋人と別れた傷心旅行中だったとか。

当時、お雪には婚約までし、学資を貢いでいた京都帝大の学生がいましたが、そのことが新聞紙上に取り上げられて破局。一方、4年間に3度来日して熱烈なアタックをするモルガンに対して、とうとう結婚する決心をしたそうです。

夫のジョージ・デニソン・モルガン(wikipediaより)
こうして1904(明治37)年1月、2人は横浜で盛大な結婚式をあげました。
その後お雪は夫とともに渡米し、パリに移住。長年パリ社交界の花形として活躍したそうですが、1925(大正14)年、突然夫のモルガンが心臓麻痺で急に亡くなってしまいました。
お雪はモルガンの死後、その遺言によりアメリカに帰化しようとしますが、前年に成立した排日移民法のためにアメリカに帰化することが許されませんでした。

お雪
お雪はその後、モルガンの遺族との裁判でかちとった遺産60万ドルの利子を携えて、フランスで悠々自適に生活。のちに、当地で出会った言語学者のフランス軍士官とマルセイユに移り、彼の学費などを援助しながら同棲生活を送ります。
ところが、その彼も1916(大正5)年に心臓麻痺で死亡。以後、ニースの別荘で一人暮らしをします。
1938(昭和13)年、姉の病気の看病のために帰国したお雪は、京都の紫野で晩年を過ごしました。第2次世界大戦中は、無国籍だったために、特高にスパイの嫌疑をかけられるなどして苦労もしたそうですが、1963(昭和38)年に亡くなるまで、モルガン・ユキと名乗っていたそうです。

お雪の遺骨は現在、京都府京都市東山区にある同聚院と鹿苑寺(金閣寺)の裏にあるカトリックの墓地に分骨されています。
その生涯は、まさに波乱万丈といっても良いかもしれません。
参考
- 上山光雲『モルガンお雪 : 祗園情史』(1916 玄誠堂書店)
- 小坂井澄『モルガンお雪』(1984 集英社)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan