……尾河の城を、板垣信形(いたがき のぶかた)、人数を以而(もって)攻くずし(攻め崩し)、上下二百余のくび帳(首帳)にて、勝時(かちどき)を執おこなひ……

【意訳】板垣信形は軍勢をもって尾河城を攻略し、討ち取った大将クラスから雑兵まで二百あまりの首級を帳簿につけて勝鬨を上げ……

※春日虎綱『甲陽軍鑑』品二三より

戦国時代、討ち取った敵の首級を記録した首帳(くびちょう。首注文などとも)。
首級の数や質は戦後の論功行賞に大きなプラスとなりますから、しっかり書き留めてもらいました。

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敵の首級を記録する首帳。月岡芳年「真柴久吉武智主従之首実検之図」より

さて、そんな首帳のつけ方にはちょっとした不文律があったようで、今回は武士道のバイブルとして有名な『葉隠(はがくれ。葉隠聞書)』より、首帳をつける時の心得を紹介したいと思います。

■二番首を待ってから記帳すべし

五八 首帳の執筆、一番首を持ち来り候時、その儘書き附けず、二番来てより書き附け候。或書に、首は遠近に依りて遅速あり。これを記すべき為なりと。又一ツ首を嫌ふ故なりと。その日一つ取りたるは、一ツ首とて嫌ふ故、髪を二ツに分け、二所に結うて出すと。

【意訳】首帳の記録を書きつけるとき、誰かが一番首を持ってきたからといって、すぐそのまま書きつけず、また誰かが二番首を持ってきた時点で書きつけるものである。
ある書物に「首級=敵の位置によって遠ければ遅く、近ければ早いから、それを考慮(どちらが真の一番首なのかを判断)するべき」とあった。
また、首級が二つ揃うまで待つのは、縁起の悪い「一ツ首(ひとつくび)」を嫌うためとも言われる。

その日、どうしても一つしか首級が上がらなかった場合、一ツ首にならぬよう、その首級の髪を二つに分けてそれぞれ髷を結い、二つの首級として扱ったそうな。

※『葉隠』巻第十一より

……「何のナニガシ、一番首!」

とかく混乱する戦場においては、少しでも目立ち、自分の武功を主張することが大切ですが、ややもすると実態のともなわないアピール合戦となってしまうことも少なくありません。

「一番首!わしが一番首じゃ!」

敵中深く斬り込んで、死闘の末に猛将を討ち取った者が必死の思いで首級を上げて自陣へ帰還したら、ちょっとその辺で手ごろな敵を討ち取った者が一番首の恩賞にあずかっていた……なんて事態が横行したら、みんなやる気をなくしてしまうでしょう。

戦国武将は縁起が大事!武士道バイブル『葉隠』が教える”首級”の取り扱い方法


必死で強敵を討ったのに……

だから二番目の者が首級を持ってくるまでは少し待つことにして、距離の遠近を加味した評価を心がけようと工夫したのでした。

また、首帳に一つ分しか記載がないと、その日は一つしか首級が上がらなかった「一ツ首」になってしまう……これを避けたかった訳ですが、その一ツ首とは何でしょうか。

一ツ首を調べてみても、これといった文献など見つからなかったため、現時点では推量するよりありませんが、とりあえず縁起が悪いことは間違いなさそうです。

なぜ一ツ首は縁起が悪いのか?これまた推測ながら「人を呪わば穴二つ」的な意味で、もう一つの首級を味方より贖(あがな)わねばならなかったから?かも知れません。

この「一ツ首」については今後の調査課題ながら、ともあれ一ツ首を避けるため、どうしてもその日は首級が一つしか上がらなかった場合、その首級の髪を二つに分け、それぞれ髷を結って首二つと見なしたのでした。

現代でもパンが4つあったら「4(し)は死に通じて縁起が悪いから、一つを二つに裂いて5つとしよう」とするようなものですね(個人的には「よ・い」「よ・ろこぶ」と解釈しますが)。

■終わりに

「もちろん首級が多いに越したことはなかろうけど、一つも二つもそう変わらないんじゃ?」

こんな話を聞いて、現代人ならそう思ってしまいそうですが、命のやり取りが日常的であった武士たちにとって、ここ一番で生死の境を決するのは、人智を超えた運否天賦。

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信仰心篤き武士たち(イメージ)

自分の命がかかっていると思えばこそ神仏への信仰に篤く、またゲン担ぎやジンクスも気になったことでしょう。

一つの頭で二つの髷が結われた首級はいささか珍妙な趣きながら、そこには先人たちの必死な思いが込められていたのでした。


※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年12月

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