歴代の天皇のなかで、最も残虐で冷酷とされている武烈天皇(ぶれつてんのう)をご存知でしょうか?

日本書紀には、武烈天皇の残忍で衝撃的な振る舞いの数々が事細かに記されています。しかし不思議なことに、古事記での武烈天皇のエピソードには、残虐なものは一切含まれていないのです。


そこで今回は、日本書紀と古事記で全く異なる武烈天皇について紹介したいと思います。

■日本書紀に記された武烈天皇

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武烈天皇

まず紹介するのは、武烈天皇の残虐なエピソードが多い日本書紀です。

日本書紀によると武烈天皇は男性の爪を剥いで木に登らせ、頂上にたどり着いたら木を切り倒して男性が死ぬのを見て楽しんだり、木に登らせた人を弓で射て楽しんだりしたのだとか。

また、このようなサイコパスな一面だけでなく、変態的な性癖をうかがわせるような残虐な振る舞いも記されています。

たとえば、女性を平板の上で裸にして晒上げ、馬との性行を強要したのです。そして女性の陰部を確認したとき、濡れたり湿ったりしているようであれば殺していたといいます。

しかも、こういった残虐な振る舞いは、武烈天皇が天皇に即位した10歳の頃からおこなわれていたというから驚きです。

■古事記に記された武烈天皇

一方、古事記に記された武烈天皇のエピソードには残虐なものはありません。

たとえば、武烈天皇は8年間天下を収めたが、太子(息子)がいなかったため、小長谷部(オハツセベ)を太子の代わりとして定めたこと。しかし、武烈天皇が崩御した後も小長谷部の存在を知らせる王がいなかったなど、ごくわずかな内容しか記されていないのです。

こういった違いには、「記した人間がどういった立場だったのか」といったことが影響しているのではないかといわれています。

なぜなら、日本書紀は政府側の人間が記したもので、古事記は歴代天皇が部下に書かせたものだからです。


諸説ありますが、日本書紀にて武烈天皇の残虐なエピソードが記されたのには、武烈天皇の次に即位予定だった継体天皇の即位を正当化させる狙いがあったのではないかとも言われています。

■そもそも存在しなかった?

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武烈天皇が在位していた期間は8年。齢10歳にして即位し、18歳で崩御したと言われていますが、諸説ありハッキリとはわかっていません。

また日本書紀と古事記とでは、まったく違った姿で描かれていることから、「武烈天皇は存在していなかったのではないか?」といった説もあります。

存在自体も謎に包まれる武烈天皇、新たな発見などにより、真の姿が解き明かされる日が来るかもしれません。

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