日本の近代史を調べていて「あれっ?」と不思議に思っていたのが、昭和初期って本当に不景気だったのかそうでないのかよく分からない、という点でした。
私が昭和初期の日本と聞いて思い浮かぶのは「恐慌」「不景気」。
昭和恐慌の象徴として有名な「大根をかじる子供たち」。この写真がどういう経緯で撮られたのか、またモデルが誰なのかなどは分かっていません
一方で、工業が発展し人口が都市に集中したのも同じ時期です。都心では丸ビルなどが建ち、東京や大阪では市民の生活様式も都会的に大きく変貌しました。
なんで不景気なのに、こんなに都市化と大衆化が進んだのでしょう。昭和初期って意外と豊かだったのでしょうか?
これ、教科書で読んでもよく分からなかったのですが、答えは簡単でした。当時の日本は全体的に不況だったのではなく、要するに「格差が拡大していた」のです。
ただ、それにしても現実に不況は不況だったわけで、どうして当時の日本は経済破綻に至らなかったのでしょうか。今回はそんなお話をしたいと思います。
■皆さんご存じ「あの国」との友好関係
結論を言えば、当時の日本は確かに不景気でしたが、第一次世界大戦後に力をつけたアメリカと友好的な関係にあったのです。だから経済破綻せずに済んだのでした。
とはいえ、「戦前の日本は実はアメリカと仲良しだった」なんてなぜか教科書には書いてないんですよね。
第一次世界大戦は連合国側が勝利しました。アメリカが途中から参戦したことにより、イギリスやフランスは勝ちを手にすることができたのです。
ただイギリスもフランスも、戦勝国のわりに犠牲が大きく、戦争によって経済的に困難な状況に追い込まれました。そういう意味でも唯一の勝者とも言える立場を手に入れたのがアメリカで、世界をリードしていきます。

ニュージーランド「追悼の橋」。第一次世界大戦で亡くなった人々を悼み建てられた
で、日本もそれに追随しました。一応日本も、形式ではありますが第一次世界大戦の戦勝国です。ヴェルサイユ体制下の五大国の一角を占め、アジアで唯一の国際連盟の常任理事国でした。
ただ、経済的には停滞しっぱなしでギリギリの状態です。よって、台頭するアメリカとうまく付き合っていくことは日本にとって必要なことでした。
またアメリカにとって、日本はアジアの中で最も将来有望な、安全有利な投資先でした。例えば当時の中国などは、清朝崩壊後は各地で軍閥が割拠し、誰が中国政府を代表するのかも不明な状況です。
これが、昭和初期の不況だった日本経済がかろうじてどん底に落ち込まずに済んだ理由です。
■進む「アメリカナイズ」と貧富の差
皆さんは浅田次郎の『天切り松闇がたり』シリーズはご存じでしょうか? 昭和初期の盗賊たちが大活躍する痛快無比な小説ですが、その中で、高齢のある登場人物が「自分たちの世代は意外と現代風のカタカナ文字になじんでるんだぜ」と口にするシーンがあるのです。
私たちは、日本でアメリカナイズが進んだのは「戦後」だと思い込みがちですが、実は昭和初期の段階で、日本の――いや日本どころか世界の――「アメリカ化」は進んでいました。戦前・戦中を生きた世代が意外とカタカナ文字に馴染んでいるというのも、そうした時代背景を物語っています。
それくらい、アメリカの影響力は絶大でした。
ただやはり、貧富の格差は当時の日本にとって大問題でした。近代的な集合住宅が建てられてもそこに住める人はごく一握り。「モボ・モガ」などという存在は実際にはごく例外的です。

「モボ・モガ」が闊歩したとされる銀座
女性のタイピストやバスの車掌が登場した、などという内容で「職業婦人」の社会進出が達成されたと記す歴史書もありますが、それも限られた高学歴の女性に限られたものでした。働く女性のほとんどは低賃金の状況だったのです。
男性も例外ではありません。
この時代だけではなく、日本とアメリカというのは、私たちが想像するよりもずっと長く根深い関係にあります。その点を見落とすと、日本近代史のところどころが「意味不明」になってしまうんですね。
参考資料
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』SB新書、2016年
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan