豪快で勇猛果敢かつ、華やかな桃山文化を愛し美食家で料理上手。豪華な生活を好んだという現代でも人気の高い戦国武将・伊達政宗。


【前編】では、そんな伊達政宗公の一面をご紹介しました。【後編】では、当時戦国武将の間では男色を好み美少年との恋愛を繰り広げた伊達政宗の男色事情をご紹介しましょう。

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お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【前編】

■美少年の小姓と繰り広げた騒動

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美しい小姓のイメージ(歌川豊国)

伊達政宗が思いを寄せたことで知られる男性としては、まず「只野作十郎」が挙げられます。

「只野作十郎」は、戦乱の後政宗の側室となった姉・勝女とともに、政宗に小姓として仕えていました。美少年だった作十郎にぞっこん惚れこんだ政宗は、当時五十路。かなり嫉妬深かったといわれています。

「作十郎に横恋慕しているものあり」という密告文を受け取った政宗は、それを鵜呑みにして嫉妬の炎に身を焦がしてしまうのです。

そして、ある酒席で、作十郎に「お前は浮気をしているだろう」といいがかりを付け、酔った勢いを借り酷く罵ってしまいます。(政宗は、普段から酒癖が悪かったとか)

身に覚えもない作十郎は、濡れ衣に怒り罵りの言葉に衝撃を受け、刀で自分の腕を斬り(※)つけて起請文(神仏に誓う文書)を送り、身の潔白と政宗への愛を証明したのです。

※刀で自分の腕を斬り……

当時、男同士の愛の契りを誓い合った者同志は、愛を確かめ合うために「貫肉」「腕引」ということを行いました。腕などに刀を突き付け、愛を確かめあったのです。

五十路だった政宗は、そこまでの行為はできなかった代わりに血判を捺した誓約書を作り、作十郎に届けたそうです。


愛する美青年家臣に熱い抱擁とキスを

お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【後編】


片倉小十郎重綱(落合芳幾作)(写真:wiki)

さらに、「こちらが本命の相手」だったといわれているのが「片倉重長(かたくらしげなが)」です。

片倉重長は、片倉景綱の息子であり、父の後を継いで伊達家の家臣となり政宗に仕えました。

戦国時代屈指の美青年として知られ、そのあまりの美しさは、男色家として知られる小早川秀秋(豊臣秀吉の正室・高台院の甥)に、上洛の際、しつこくストーキングされたほどだったとか。

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小早川秀秋の浮世絵(写真:wiki)

そんな片倉重長が30歳の時、大阪の陣出陣前のことでした。

重長は、初陣となるこの大阪の陣で「片倉」の名を汚さないようにと、戦の先頭に立ち戦うため「先陣」を切りたいと決意しました。

そして、出陣前の伊達政宗を捕まえ、「どうか先陣は私に」と頼み込み見込んだそうです。

お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【後編】


大阪夏の陣図屏風(黒田屏風)右隻(大阪城天守閣所蔵)(写真:wiki)

先陣という危険な役目を、自ら志願した片倉重長に心を打たれた政宗。

「お前以外に先陣は、誰にもやらせぬものか!」と重長を熱く抱きしめ、ぐっと手を引き寄せ、ハラハラと涙を落とし重長の頰にキスをしました。

お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【後編】


伊達政宗像(写真:photo.AC)

そんな政宗に、重長も感動し「誠にありがたき幸せ」と、政宗を熱く抱きしめたそうです。そして、政宗の熱い想いに応え、敵将の後藤又五郎を打ち取る大活躍をしました。

当時の武将の男色は、ただの色恋や性愛だけではなく、主君と家臣という深い絆を結び合う意味合いもあったといわれています。

【前編】【後編】と、お読みいただきありがとうございました。


お前以外には誰にもやらせぬ!信頼する家臣を熱く抱擁、キスをした伊達政宗の男色事情【後編】


白石城天守閣、代々片倉氏が守った。(写真:wiki)

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