みなさんは、愛姫という名前の女性を知っていますか?読み方は「あいひめ」ではなく「めごひめ」です。女性らしく可愛らしい名前ですが、彼女の正体はあの有名な伊達政宗の正室。


そこで今回の記事では、そんな愛姫(めごひめ)について紹介したいと思います。

12歳で結婚、戦国の世で武将・伊達政宗との愛を貫いた正室「愛...の画像はこちら >>


■愛姫の生まれ育ちは?

愛姫(めごひめ)は、永禄11年(1568年)に、三春城主(福島県田村郡三春町)の田村清顕の一人娘として生まれました。

ちなみに彼女の名前の「めご」というのは東北の方言で「かわいい」「愛らしい」という意味を持つようです。

数え年で12歳の時に、又従兄弟にあたる伊達政宗と結婚。将来愛姫が産んだ嫡男を伊達家の跡取りに、次男を田村家の養子とする約束をした政略結婚ではあったものの、容姿も良く上品で教養もあった愛姫に、伊達政宗は心惹かれます。

■伊達政宗との夫婦仲は良好!

12歳で結婚、戦国の世で武将・伊達政宗との愛を貫いた正室「愛姫(めごひめ)」とは


伊達政宗

ここからは伊達政宗と愛姫の夫婦仲を見ていきましょう。結婚後早々事件は起こります。

それは、伊達政宗の暗殺未遂事件。これに田村家から内通者があったと疑った政宗により、愛姫の乳母や侍女たちが死罪にされてしまいます。これにより一時夫婦仲は険悪に。

しかし、愛姫が人質として京都の聚楽第の伊達屋敷に住むようになったときには夫に京都の情勢を知らせるなど、外交官的役割を果たしています。

そして、結婚から15年が経ったとき、子宝に恵まれます。
政宗には7人ほどの側室がいたと言われていますが、正室の愛姫を大切にし、気遣う手紙などを送っていたと伝えられています。

■最後は伊達政宗に面会を拒否される?

12歳で結婚、戦国の世で武将・伊達政宗との愛を貫いた正室「愛姫(めごひめ)」とは


出家後の愛姫(陽徳院)

そんな夫婦仲の良い二人でしたが、伊達政宗の最期に会うことはできませんでした。

それは、政宗が許さなかったから。

とはいえそれは嫌いだからという理由ではなく、愛する妻に病でやつれた姿を見られたくなかったから。愛姫も夫の意志をくみ取り、納得しました。

いかがでしたか?戦国時代において、二人は素敵な愛を貫いたことがわかりますね。

この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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