天暦と書いて、何と読みますか?

素直に読めば「てんれき」ですが、歴史好きな方なら「てんりゃく」という読みを知っているかも知れません。比叡山の延暦寺(えんりゃくじ)なども有名ですね。


てんりゃく?てんれき?どっちも同じ天暦だけど…日本以外でも使...の画像はこちら >>


天暦年間は村上天皇の御代であった。永平寺蔵御影

「お前それ、『てんれき』じゃなくて『てんりゃく』って読むんだよ!」

だがちょっと待って欲しい……実は天暦と書いて「てんれき」と読むパターンもあるんです。

そこで今回は、同じ天暦と書いた「てんりゃく」と「てんれき」の違いを紹介したいと思います。

■天暦(てんりゃく)

天暦と書いて「てんりゃく」と読む……おなじみ日本の元号で、西暦947~957年に相当。平安時代中期ですね。

時の天皇陛下は第62代・村上天皇(むらかみてんのう)。天慶10年(947年)4月22日に改元され、天暦11年(957年)10月27日に天徳へと改元されました。

天暦というネーミングは『論語』にある「天之暦数在爾躬(てんのれきすう、なんじがみにあり)」に由来。

てんりゃく?てんれき?どっちも同じ天暦だけど…日本以外でも使われていた元号のトリビア


天暦の語源。舜(左)に天下を譲る堯(画像:Wikipedia)

これは「天命はあなたの身に宿っている=あなたが天下を治めるべきだ」という意味で、古代中国の聖君・堯(ぎょう)が天下を譲るため舜(しゅん)にかけた言葉です。

天下は徳ある者が治めるべし……相次ぐ戦乱によって逼迫していた財政再建に努める一方、平安文化を花開かせて後世「天暦の治」と賞賛された村上天皇に相応しい元号と言えるでしょう。

(もちろん、まったく問題がなかった訳ではありませんが……)

■天暦(てんれき)

さて、天暦と書いて「てんれき」と読むのはモンゴル帝国・元王朝の元号(モンゴル語ではTen-liと発音)。
西暦1328~1330年、日本だと鎌倉時代の末期ですね。

トク・テムル(図帖睦爾)が第7代皇帝アリギバ(阿里吉八。モンゴル帝国第11代カアン)に対抗して即位した時に改元。兄のコシラ(和世㻋)と2代にわたって用いました。

てんりゃく?てんれき?どっちも同じ天暦だけど…日本以外でも使われていた元号のトリビア


モンゴル帝国カアン位を奪取した梟雄トク・テムル(画像:Wikipedia)

後世「天暦の内乱」と呼ばれるカアン位継承争いを制したトク・テムルは兄のコシラに帝位を譲ったものの、その直後にコシラが変死(暗殺説も)。

カアンに復帰したトク・テムルは天暦3年(1330年)5月8日、元号を至順(しじゅん)と改めたのでした。

天暦元年(1328年)
9月13日 トク・テムルが第12代カアン位(並びに第8代元皇帝)に即位
10月13日 トク・テムルがアリギバ(9歳?)を滅ぼす(混乱の中で死去。処刑か)

天暦2年(1329年)
4月 トク・テムルが兄のコシラに皇位を譲り、自身は皇太子に
8月2日 トク・テムルとコシラが会見
8月6日 コシラが急死(暗殺?)
8月15日 トク・テムルが復位するが、親衛隊長エル・テムル(燕鉄木児)の傀儡に

天暦3年(1330年)
5月8日 至順に改元

日本だと一世一元(いっせいいちげん。天皇陛下一代ごとに元号を一つのみとする制度)が定着した現代はもちろん、御代替わりに際して改元するのが当たり前の感覚ですよね。

しかしモンゴル帝国ではちょっと感覚が違ったらしく、同じ元号を皇帝2人で使っているなど、元号と帝位・治世のつながりが若干弱かったのでしょう。

ちなみに次の至順も、トク・テムルと次代のイリンジバル(懿璘質班。コシラの子)で兼用されました。


■終わりに

他にも元号ではありませんが、19世紀の宗教叛乱である太平天国(たいへいてんごく。1851~1864年)で用いられた太陽暦も天暦(てんれき)と呼ばれます。

てんりゃく?てんれき?どっちも同じ天暦だけど…日本以外でも使われていた元号のトリビア


太平天国の天王玉璽(画像:Wikipedia)

これは1年を12ヶ月366日(奇数の月を31日、偶数の月を30日)として閏月を廃止、西暦にならって曜日の概念を導入したものです。

二十四節気を基準として節気を月初、中気を月半ばとしました。

【節気】大雪、小寒、立春、啓蟄、清明、立夏、芒種、小暑、立秋、白露、寒露、立冬
【中気】冬至、大寒、雨水、春分、穀雨、小満、夏至、大暑、処暑、秋分、霜降、小雪

ただしこのまま1年366日固定だと1年間で18時間ほどずれてしまうため、後に太平新暦が作られ、これは40年に一度毎月28日(336日)になる年を設定します。

……が、その年が来る前に太平天国は滅亡してしまったのでした。

以上「天暦」について紹介して来ましたが、日本と大陸でその治世は大きく異なります。

栄枯盛衰は世の習い。王朝の興亡を繰り返す世界にあって、初代・神武天皇(じんむてんのう)以来ずっと変わらぬ日本の皇室を、末永く大切にしていきたいですね。

※参考文献:

  • 日本の元号大事典編集委員会 編『大化から令和まで 日本の元号大事典』汐文社、2019年5月
  • 平凡社 編『アジア歴史事典 第8巻 ヒーミ』平凡社、1961年1月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ