今から少し時代をさかのぼった昭和初期にも、世間をにぎわせたショッキングな事件が発生しました。それは、「阿部定事件」。
今回は、そんな阿部定事件について紹介したいと思います。
■阿部定事件とは?
逮捕直後の阿部定
阿部定事件は、昭和11年(1936年)5月18日に発生しました。ちなみにこの年は二・二六事件も起きているので、社会も不安定な状況が続いていたのではないかと推測されます。
事件は、荒川区億の待合(まちあい:東京などで主に芸妓との遊びや飲食を目的に利用された貸席業)で阿部定という女性が性交中に愛人である相手の男性・石田吉蔵(いしだきちぞう)を扼殺し、彼の局所を包丁で切り取った、というもの。
そして、切り取った彼の局所は逮捕されるまでの3日間、紙につつんで持っていたとか。さらに、彼の血液で「定吉二人キリ」とシーツに書いたり、彼の腕に「定」と刻んだこともわかっています。
■そもそも、阿部定とは?なぜ吉蔵と関係を持った?

阿部定
阿部定は、畳店を営む家庭の末娘として生まれます。母親から特にかわいがられたという彼女ですが、15歳の時に悲劇に襲われます。それは、そのときに経験した大学生との初体験がレイプに近いものだったということ。
阿部定の事件は“純愛”などと考えられることもありますが、定は男性への憎悪もあったのではないかと推測する研究者もいます。
なお、阿部定と吉蔵のそもそもの接点は、吉蔵が主人をしていたうなぎ料理店「吉田屋」の女中として定が働き始めたこと。次第にひかれあい、関係を結んだ彼らは、待合を転々とし、荒川区尾久の待合「満佐喜」に流れ着き滞在していたそうです。
■事件は映画化も
これまでご紹介してきた阿部定事件は、映画「愛のコリーダ」など芸術にも発展。日本とフランスの合同で制作され、メガホンは大島渚監督が取りました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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