実は東北地方の「山形県」は、ラーメンの消費量が日本一です。
この事実は、インターネットの普及や各種メディアの宣伝によって知られるようになってきました。
なぜ「山形県」が「ラーメン」なのでしょうか? そもそものきっかけは関東大震災でした。
1859年の横浜開港とともに、日本には外国人が住み始めますが、その中には中国人も含まれていました(華僑・華人)。
横浜中華街
これとあわせて日本国内でも「ラーメン」という食べ物が少しずつ知れ渡っていきましたが、明治の年号が終わる頃でもまだ横浜や東京、同じく港のある神戸や長崎周辺に限られていました。
そして関東大震災が発生します。横浜の中国人たちも被災し、日本各地に移り住みました。
この出来事によって、ラーメンという食べ物の情報も全国へ行き渡るようになったのです。
もちろん、山形にもこうした経緯で多くの中国人が移り住みましたが、それは他の地域にも言えることです。なぜ、山形県だけが「ラーメン日本一」になったのかというと、元々「そば」文化があったからでした。
山形県は、「ラーメン県」であると同時に「そば県」でもあります。現在でも、山形県の人口10万人あたりのそば屋の数は全国で2位です。
■そばと並ぶ「ご馳走」になったラーメン
しかし、そばという食べ物には問題があります。日持ちがせず、打った日に食べないと味落ちしてしまうのです。
もちろん冷蔵庫もない時代では、そばが食べられるのは旬の時期である11月から3月までと限られていました。

山形の郷土料理としての「板そば」
ところが、ラーメンならこの問題をクリアできます。原料が小麦なので一年中食べられますし、寝かせて熟成もできるので日持ちするのです。
どちらも同じ「麺類」なので、ラーメンもそばの親戚のように考えられたのかも知れません。おそらく、そば作りの技法はラーメン作りにも応用が利いたのでしょう。そば屋はラーメンもメニューに加えるようになりました。
家庭で作るのが難しいラーメンの麺やスープを、そば屋が作るようになったことで食べ物としての知名度も人気上昇していったのです。

山形県・赤湯地域で有名な「辛みそラーメン」
現在でも、山形県のそば屋が、「中華そば」という名前でラーメンを提供するのはごく当たり前のことです。
一方、そばの親戚として捉えられつつも、非日常的なご馳走というイメージもあったのでしょう。今でも、山形県ではお客を家でもてなす際、出前でラーメンを振る舞う習慣があります。
【後編】では、観光面も含めた「ラーメン県」としての山形県の実情を説明します。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan