今回はそんな「徒然草」の著者である吉田兼好(よしだけんこう)について紹介したいと思います。
吉田兼好
■日本三大随筆
「徒然草(つれづれぐさ)」は、清少納言の「枕草子」や鴨長明「方丈記」と並ぶ「日本三大随筆」のひとつです。題名になっている「徒然」は暇を持て余し、手持ち無沙汰な状態を表しています。
諸説ありますが、「徒然草」は暇を持て余した吉田兼好が気の向くまま思いつくままに書き留めたとされる短編集作品です。
■謎に包まれた「徒然草」の筆者・吉田兼好という人物
吉田兼好は室町時代に生きた随筆家ですが、出身地も生年月日も享年もはっきりしたことが分かっておらず、「徒然草」の筆者ではないといった説もあります。
本名を「卜部兼好」としていましたが、出家後は「兼好法師」と改名。性である「吉田」というのは京都にある吉田神社出身という説が濃厚です。
兼好は生涯、権力や富には執着することなく、質素な生活をして過ごしたといわれています。
■吉田兼好没後に「徒然草」がヒット
「徒然草」がヒットしたのは吉田兼好が亡くなってからのことでした。
兼好の没後、弟子の「命松丸」や友人の「今川了俊」らが再編集した新たな「徒然草」が世に公開されます。
再編集された「徒然草」は、庶民にも理解しやすい簡単な語り口と兼好の皮肉やユーモアを織り交ぜた内容であったため、乱世を生きる人々に共感されヒットしたのです。
■親しまれた吉田兼好
親しみやすい性格だった兼好は、友人たちから「恋文」の代筆をお願いされることがありました。足利尊氏の側近「高師直」も、吉田兼好に恋文の代筆を依頼した1人です。
兼好は高師直の思いを代弁し、自身の持てる技術を詰め込んで恋文を書き綴りましたが、高師直の思い人は恋文を開くことなく庭に放り捨てたのだとか。
なぜなら、高師直の思い人は人妻だったからです。
すばらしい文学の才能をちりばめた恋文も、読んでもらえなければ意味がないですね(笑)
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