集めた米粒を庭先にまいておくと、それを翌朝、雀が食べに来るのです。
「雀にご飯をあげようね」
雀さん、たくさんお上がり……(イメージ)
自分では食べられないけど、雀なら食べてくれる。少しでもフードロスを減らすための工夫ですが、似たような習慣を平安時代の貴族たちも行っていました。
その名も「とりばみ」。漢字で書くと鳥喰、食べることを喰(は)むとも言いますね。
しかし他にも執喫・執咋・取食などの漢字表記が。意味は執=取、喫=咋=食と同じです。
取る(執る)という行為は基本的に手で行うものですが、鳥には翼こそあれ人間のような手を持っていません。
となると平安貴族の言う「とりばみ」は、鳥だけに行うものではない……とすれば、いったい何をするのでしょうか。
■食べきれぬたくさんの料理を……
「あぁ、食うた食うた」
平安時代、貧しい暮らしをしていた庶民に対して貴族たちは贅沢三昧。そんなことを、歴史の授業で教わった記憶があります。
それは食事についても同様で、例えば大饗(だいきょう/おおあえ)と呼ばれる内裏や大臣邸での宴席では、以下の料理が供されたとか。

平安貴族の豪勢な食膳(イメージ。
尊者(そんじゃ。主賓クラスの大臣)……28品
公卿(くぎょう。最上級貴族)……20品
殿上人(内裏への出入りが許された上級貴族)……12品
主人……8品
献立は飯、調味料、魚介類、鳥肉、干物、唐菓子(揚げ物)、木菓子(果実類)など。獣肉(四つ足)は殺生として忌まれ、野菜類は下品として避けられたとか。
調味料は塩、酢、酒、醤(ひしお。塩漬け)の4種類が用意され、それぞれの料理に好みの味をつけたと言います。
※『類聚雑要抄(るいじゅぞうようしょう)』より
主人は自分の豊かさをアピールするため、これでもかとばかり椀飯振舞に及びますが、当然みんな食べきれません。
もちろん中にはとんでもない大食いもいたのでしょうが、ひとかどの貴族であれば、そんながっついた真似は慎むものです。
では、食べ残したたくさんの料理をどうするのか……そこで「とりばみ」が行われます。
「方々、もうすっかり召し上がられましたな。されば『とりばみ』といたしましょう……よし、入れよ!」
主人の合図とともに、庭先へわらわらと庶民たちが入ってきました。みんなお腹を空かせているようです。
「そーれ!」
すると客人たちは、自分の食べ残した料理を箸でつまんで庭先へ放り投げます。庶民たちは放り投げられた食べ物に殺到、奪い合うように頬張るのでした。
「俺のだ!」「よこせ!」「こっちに下せぇ!」
「ほれほれ。左様に争わずとも、まだまだおじゃるぞ。あそーれ!」
客人たちは食べ残しをあっちへ放り、こっちへ放り……庶民たちがそれを追い駆ける様子を見て楽しんだとか。

「よこせ!」「俺のだ!」「どけ!」放られる餌に群がる池の鯉(イメージ)
現代人で喩えるなら鯉の池に餌を放り、鯉たち(ときどき亀とか鳥も)があっちへ群がり、こっちへ群がる様子を楽しむような感覚でしょうか。
それを人間同士でやるなんて……私たちの感覚ではちょっと理解しがたいものの、当時の価値観ではこれを施餓鬼(せがき。飢えた民への施し)の一種ととらえたようです。
■終わりに
「ほっほっほ……まるで鳥が餌を啄(ついば)んでおるようじゃ」
庶民たちにとっては地面に落ちた食べ物を「とってはむ」から執喫(執咋・取食)であり、貴族たちにとってはそんな庶民たちが「鳥が餌をついばむ」ように見えるから鳥喰……という事情のようです。

平安貴族の饗宴(イメージ)
「とりばみ」の漢字表記
庶民にとって:食べ物を「とってはむ」から執喫・執咋・取食
貴族にとって:そんな庶民たちの様子が「鳥のついばみ」に見えるから鳥喰
現代の私たちが鳥たちを人間より格下の存在と思っているように、平安貴族たちにとっては、庶民は自分と同じ人間とは思っていなかったのかも知れません。
「富める者が貧しき者へ施して、いったい何が悪うおじゃるか?」
何が悪いと言えば「渡し方」が悪いのですが、そもそもやんごとなき貴族が汚らわしい貧民に直接手渡しするなど言語道断。
自らの手を汚すことなく、貧民に施すことで功徳を積める。
※参考文献:
- 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan