伊達政宗(だてまさむね)と言えば、昔の大河ドラマの影響もあって、眼帯をつけて騎乗している姿を思い浮かべる人が多いでしょう。彼は幼い時に天然痘にかかり、右目の視力を失ったため眼帯を付けていました。
伊達政宗像
一方、彼はもし数年早く生まれていれば天下人になっていただろう、といわれたほどの才能の持ち主でした。最盛期には東北各地を制覇する程の戦国武将だったのです。
そんな政宗が芸術や文化にも精通していた人だったというのも知られている話ですが、実は、彼は「戦国一のグルメ武将」としても名高い人物で、料理もしていたのです。
今でこそ、男性がキッチンに立つことは珍しくありませんが、かつては「男は料理をしないもの」というイメージが強くありました。しかしこのイメージも実は比較的最近、江戸時代以降のもので、戦国時代あたりですと男が料理をすることは普通でした。
政宗の名言にも、料理にまつわるものが残っています。
「馳走とは旬の品の物をさりげなく出し、主人自らが調理をしてもてなすことである」。
人をもてなすのに1番大切なものは料理であり、そのメニューを調理するのは主人であるというんですね。
■味噌とお節
政宗がそのように食に目覚めたきっかけとなったのは、「兵糧」がきっかけでした。
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戦においては兵糧の確保が重要で、日持ちがよくおいしい兵糧が求められていました。
そこで注目されたのが「味噌」です。

赤味噌
政宗は、実は日本で最初に味噌の量産化に成功した人です。
また、彼はお節にもこだわっていました。鯨の肉などの珍味を含め、約60種類以上の食材を使っていたといわれています。陰陽五行説に基づいて白・黒・黄・緑・赤と配色にもこだわっていたとか。
伊達政宗って、こんなに「食」を重要視していたんですね。
料理に精通し、何でもおいしく食べる、そんなふうに「食」を大切にする男というのはカッコいいものです。
「戦国一のグルメ武将」の称号にふさわしいですね。
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