1722年のイースター(キリスト教の復活祭)にオランダ海軍提督ヤーコプ・ロッヘフェーンが「発見」したからこの名がついたそうですが、正式名称はチリの公用語であるスペイン語でパスクア島(Isla de Pascua。パスクアは復活祭の意)、現地語名は「広い土地」を意味するラパ・ヌイ(Rapa Nui)と呼ぶとか。
イースター島のモアイ像(画像:Wikipedia)
日本から直線距離で5,000キロ以上、最も近い有人島でも2,000キロ以上も離れたイースター島。かつてここが、日本の領土になるかも知れない出来事がありました。
今回はそんなエピソードを紹介。日本に対してどんなアプローチがあり、せっかくのチャンス?をなぜ日本は断ったのでしょうか。
■「イースター島はいかがですか?今ならサラ・イ・ゴメス島もセットでお得!」
時は昭和12年(1937年)6月上旬、チリ政府から日本政府に対して「イースター島を買いませんか?」という打診がありました。
当時、チリは海軍力を強化するために軍艦の建造を計画していたものの、その財源がなかったのです。
そこで軍艦の建造資金を捻出するため、イースター島とその近く?(300~400キロほど北東方向)にあるサラ・イ・ゴメス島(Isla Salas y Gómez)と一緒に売却したいとのこと。

イースター島とサラ・イ・ゴメス島の位置(画像:Wikipedia)
余談ながら、サラ・イ・ゴメスとは「サラ(女性名)と(イ)ゴメス(男性名)」の意味で、写真を見ると二つの島がくっついているようです。きっと二人は夫婦か恋人という設定なのでしょう。
在チリ公使の三宅哲一郎(みやけ てついちろう)は提供された島の資料を外務省に送付。
海軍からは(1)同島について、軍事的な価値はあまり高くない。少なくとも、呈示されている金額に見合わない。(2)しかし、今後空路が発達すれば南米方面への中継・補給基地としては有効と考える。(3)もし購入するのであれば、日本の領土が東へ進出することについてアメリカの反発が予想されるため、あくまで漁業地の名目で取得するのがよかろう……的な意見が出されます。
さて、イースター島を購入すべきか否か……6月30日に三宅公使がアルトゥーロ・アレッサンドリ・パルマ大統領に謁見した時、それとなく探りを入れてみました。

チリ大統領アルトゥーロ・アレッサンドリ・パルマ(画像:Wikipedia)
すると、どうやらイギリスやアメリカにも売却を持ちかけていることが判明。どうしたものでしょうか。
恐らく大統領としては「早くしないと、買われてしまいますぞ?」と競合させたかったのでしょうが、三宅公使は良くも悪くも空気を読んでしまう日本人。
「もしも英米が乗り気だった場合、日本が競合するのはよろしくありません。そこまでして購入すべき案件でもありませんし、ここはひとまず静観するのがよろしいでしょう」
……本国の外務大臣・広田弘毅(ひろた こうき)にそう意見を具申すると、広田大臣はこれを受けたのか、その後イースター島の購入には言及しなくなったのでした。
■終わりに
こうしてイースター島の購入から手を引いた日本政府。

もしかしたら、モアイが日本の名所になっていたかも?(イメージ)
(軍艦建造の予算は、どこから捻出したのでしょうか。あるいは断念したのか、そこまでは分かりませんが……)
残念な気もしますが、もしイースター島を購入していたら、程なく勃発した大東亜戦争(太平洋戦争)によって米英に奪われてしまったことでしょう。
また昨今イースター島では、独自の伝統文化や生活を守ろうと現地住民による独立運動が起こっています。こうした先住民問題を抱え込むリスクを考慮すると、やはり購入は見送って正解だったのかも知れませんね。
※参考資料:
- 外務省:外交史料 Q&A 昭和戦前期
- News Up イースター島が日本に? 外交“公”文書が歴史を作る|NHKニュース
- A・コンドラトフ(中山一郎 訳)『イースター島の謎』講談社、現代新書、1977年7月
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