NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で、登場するないなや並外れた存在感を見せつけている源義経(演:菅田将暉)。
誰もが思いつかないような戦術を実行し、切れ者梶原景時(演:中村獅童)をも唸らせる義経は、史実でも奇襲・奇策を用いて平氏を追い詰めていきます。
今回は、前編・後編の2回にわたり義経が行った奇襲・奇策の中でも有名な「一ノ谷の戦い・逆落とし」に焦点を当て、その真相を探っていきましょう。
【前編】は一ノ谷の戦いの概要について、ご紹介しましょう。
■京都に迫る平氏が要害・一ノ谷に陣を張る
後白河法皇から三種の神器奪回の宣旨が出される
後白河法皇。(写真:Wikipedia)
1183(寿永2)年、木曽義仲により京都を追われた平氏は九州大宰府に逃れます。その後、畿内では木曽義仲と源頼朝の間で源氏同士の戦いが起き、1184(寿永3)年1月に木曽義仲が敗死しました。
源氏同士の抗争の間に平氏は西国で勢力の回復を果たします。そして、同年1月に大船団を率いて大輪田泊(兵庫県神戸市)に上陸しました。
この頃になると平氏の力は九州・中国・四国におよび、瀬戸内海を制圧。かつて清盛が造営し遷都を計画していた福原(兵庫県神戸市)に入り、京都奪回の機会を伺うほどになっていました。
この状況をみた後白河法皇は1月26日、源頼朝に「平家追討の宣旨」を出します。この宣旨で法皇が頼朝に求めたのは、平氏が都落ちする際に持ち去った「三種の神器」の奪回であったのです。
それがどれほど重要な任務であるかは、法皇の命で平氏の所領500カ所が頼朝に与えられたことからも明らかでした。
源頼朝。(写真:Wikipedia)
一ノ谷の戦いにおける源平両軍の兵力
生田の森。(写真:T.TAKANO)
頼朝は京都にいた源範頼を総大将に別動隊の大将に源義経を任じ、平氏追討のため京都を出陣させました。平氏は、摂津国と播磨国の境にある一ノ谷に陣営を構え、源氏の軍勢を迎え撃とうと待ち受けます。
源平両軍の兵数は『平家物語』『吾妻鏡』によると、源氏約70,000騎、平氏約80,000~100,000騎とされ、『鎌倉殿の13人』をはじめ多くはこの説に従っているようです。しかし、時の右大臣九条兼実の日記『玉葉』の1183(寿永3)年2月4日条には、源氏・2,000騎、平氏20,000騎と記されています。
『玉葉』は当時の情報を生々しく伝えているので、そこには信憑性を感じられます。しかしながら、そうなると源氏は10倍近くの平氏軍と戦うことになり、さらに圧倒的な兵数を有する平氏が一ノ谷に籠城するという矛盾が生じてくるのです。
源氏・平氏の本当の兵力を考える
源範頼。(写真:Wikipedia)
平氏が陣を構えた一ノ谷は、おおよそ東が生田、中央が福原、西が塩屋の範囲で、その長さは約10キロにおよびます。前面に瀬戸内海、背後には絶壁の崖が迫る地形。しかも東側は開けているものの、西側は細い道が一本通るだけという要害と呼ぶにふさわしい場所でした。
総大将の平宗盛は東側の生田口を大手として平知盛、西側の塩屋口を搦め手として平忠度、福原背後の夢野口に平通盛・教経兄弟をそれぞれ主将に任じます。そして、中央に安徳天皇を奉じた宗盛が陣取りました。
ここで源平両軍の兵数を『平家物語』『吾妻鏡』と『玉葉』に従い、その布陣を考えてみましょう。
『平家物語』『吾妻鏡』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(50,000騎):源氏(50,000騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(10,000万騎):源氏(8,000騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊10,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(10,000騎):源氏(7,000騎)
『玉葉』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(8,000騎):源氏(1,500騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊2,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
いかがでしょうか。『平家物語』『吾妻鏡』に従えば、がっぷり四つに組んだ戦ができそうですが、『玉葉』では普通に考えれば源氏に勝ち目はありません。
源氏軍は木曽義仲を討った範頼・義経の京都駐留軍がそのまま一ノ谷に向かったことは間違いないでしょう。その時の総勢は範頼30,000騎、義経25,000騎とされています。そう考えると、源氏軍の総勢は70,000騎近くいたとしても問題ないでしょう。
■一の谷の戦いと逆落としの奇襲
平氏の前に苦戦する源氏軍
平知盛。(写真:Wikipedia)
合戦は2月7日払暁から始まります。大手の東側・生田の森には平知盛・重衡ら平氏の主力が濠をめぐらし逆茂木を立てて堅固な陣を構築しています。ここに源範頼率いる梶原景時・畠山重忠などの諸将が敵対し、平氏軍との間に猛烈な矢戦(やいくさ)が行われました。
この矢戦は要害に拠る平氏が有利となり、機を見ていた知盛の下知のもと精兵2千人が源氏勢に突撃。壮絶な白兵戦で源氏軍に死傷者が続出します。
この時、梶原景時・景季父子を先頭に梶原勢が降り注ぐ矢をものともせず、逆茂木を取り除く奮戦を行いますが、平氏軍の激しい抵抗にあい、源氏軍は苦戦を強いられたのです。
義経の遊撃隊が一ノ谷の背後を突く
鵯越の逆落とし。(写真:Wikipedia)
源範頼・義経ら源氏軍首脳にとって、この戦況はある程度読めていたのではないでしょうか。堅固な要塞と化した一ノ谷陣営を真っ向から攻めても簡単に堕とせるものではありません。
しかし、源氏軍の主力が「囮(おとり)」となり、大手を攻めている間に、ある策謀が進んでいました。
ここからは『鎌倉殿の13人』に従って戦いの経過を見ていきたいと思います。
生田口で戦いが始まる数時間前、義経は別動隊として安田義定らを率いて山側を進み、途中の鵯越で義定に本隊を預けて夢野口に向かわせます。そして自らは遊撃隊として精兵70騎を率いて山側を進み、一ノ谷の背後の高台に回り込んだのです。
そこからは、眼下に平氏の本陣が見渡せました。ただ、足元はまさに断崖絶壁。
義経は地元の猟師からこの崖を鹿が通っているという話を聞き、試しに2頭の馬を落としたところ、1頭は無事に降り立ちました。馬でも降りれると判断した義経軍は一斉に崖を駆け降りたのです。
一ノ谷に降り立った義経軍は遮二無二に平氏本陣に突入します。戦いは大手の東側・生田の森で行われていると思っていた平氏軍中枢は、突然現れた源氏武者を見て驚愕しました。
その動揺は将兵たちに伝わり、平氏軍は次々に海に逃れていったのです。さらに本陣の混乱は波及して平忠度が守る塩屋口が破られます。この状況を見た平知盛は救援に向かいました。しかし、範頼軍の一斉攻撃により大手口も破られ、ついに平氏軍全体が敗走をはじめたのです。
平宗盛。(写真:Wikipedia)
総大将の平宗盛は安徳天皇・建礼門院・二位の尼などを大船に乗せ、屋島に向かいました。生き残った将兵たちも船でその後を追いました。
この戦いで平氏は、一門の有力武将の多くを失いました。京都奪回にめどが立つほど勢力を挽回したにも関わらず致命的な大打撃を受けた戦いとなったのです。
ただ、この経緯には矛盾が生じます。【後編】では「逆落とし」の場所とその目的を含め、詳しく紹介しましょう。
後編の記事はこちら
誰もが思いつかないような戦術を実行し、切れ者梶原景時(演:中村獅童)をも唸らせる義経は、史実でも奇襲・奇策を用いて平氏を追い詰めていきます。
今回は、前編・後編の2回にわたり義経が行った奇襲・奇策の中でも有名な「一ノ谷の戦い・逆落とし」に焦点を当て、その真相を探っていきましょう。
【前編】は一ノ谷の戦いの概要について、ご紹介しましょう。
■京都に迫る平氏が要害・一ノ谷に陣を張る
後白河法皇から三種の神器奪回の宣旨が出される
後白河法皇。(写真:Wikipedia)
1183(寿永2)年、木曽義仲により京都を追われた平氏は九州大宰府に逃れます。その後、畿内では木曽義仲と源頼朝の間で源氏同士の戦いが起き、1184(寿永3)年1月に木曽義仲が敗死しました。
源氏同士の抗争の間に平氏は西国で勢力の回復を果たします。そして、同年1月に大船団を率いて大輪田泊(兵庫県神戸市)に上陸しました。
この頃になると平氏の力は九州・中国・四国におよび、瀬戸内海を制圧。かつて清盛が造営し遷都を計画していた福原(兵庫県神戸市)に入り、京都奪回の機会を伺うほどになっていました。
この状況をみた後白河法皇は1月26日、源頼朝に「平家追討の宣旨」を出します。この宣旨で法皇が頼朝に求めたのは、平氏が都落ちする際に持ち去った「三種の神器」の奪回であったのです。
それがどれほど重要な任務であるかは、法皇の命で平氏の所領500カ所が頼朝に与えられたことからも明らかでした。

源頼朝。(写真:Wikipedia)
一ノ谷の戦いにおける源平両軍の兵力

生田の森。(写真:T.TAKANO)
頼朝は京都にいた源範頼を総大将に別動隊の大将に源義経を任じ、平氏追討のため京都を出陣させました。平氏は、摂津国と播磨国の境にある一ノ谷に陣営を構え、源氏の軍勢を迎え撃とうと待ち受けます。
源平両軍の兵数は『平家物語』『吾妻鏡』によると、源氏約70,000騎、平氏約80,000~100,000騎とされ、『鎌倉殿の13人』をはじめ多くはこの説に従っているようです。しかし、時の右大臣九条兼実の日記『玉葉』の1183(寿永3)年2月4日条には、源氏・2,000騎、平氏20,000騎と記されています。
『玉葉』は当時の情報を生々しく伝えているので、そこには信憑性を感じられます。しかしながら、そうなると源氏は10倍近くの平氏軍と戦うことになり、さらに圧倒的な兵数を有する平氏が一ノ谷に籠城するという矛盾が生じてくるのです。
源氏・平氏の本当の兵力を考える

源範頼。(写真:Wikipedia)
平氏が陣を構えた一ノ谷は、おおよそ東が生田、中央が福原、西が塩屋の範囲で、その長さは約10キロにおよびます。前面に瀬戸内海、背後には絶壁の崖が迫る地形。しかも東側は開けているものの、西側は細い道が一本通るだけという要害と呼ぶにふさわしい場所でした。
総大将の平宗盛は東側の生田口を大手として平知盛、西側の塩屋口を搦め手として平忠度、福原背後の夢野口に平通盛・教経兄弟をそれぞれ主将に任じます。そして、中央に安徳天皇を奉じた宗盛が陣取りました。
ここで源平両軍の兵数を『平家物語』『吾妻鏡』と『玉葉』に従い、その布陣を考えてみましょう。
『平家物語』『吾妻鏡』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(50,000騎):源氏(50,000騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(10,000万騎):源氏(8,000騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊10,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(10,000騎):源氏(7,000騎)
『玉葉』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(8,000騎):源氏(1,500騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊2,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
いかがでしょうか。『平家物語』『吾妻鏡』に従えば、がっぷり四つに組んだ戦ができそうですが、『玉葉』では普通に考えれば源氏に勝ち目はありません。
源氏軍は木曽義仲を討った範頼・義経の京都駐留軍がそのまま一ノ谷に向かったことは間違いないでしょう。その時の総勢は範頼30,000騎、義経25,000騎とされています。そう考えると、源氏軍の総勢は70,000騎近くいたとしても問題ないでしょう。
■一の谷の戦いと逆落としの奇襲
平氏の前に苦戦する源氏軍

平知盛。(写真:Wikipedia)
合戦は2月7日払暁から始まります。大手の東側・生田の森には平知盛・重衡ら平氏の主力が濠をめぐらし逆茂木を立てて堅固な陣を構築しています。ここに源範頼率いる梶原景時・畠山重忠などの諸将が敵対し、平氏軍との間に猛烈な矢戦(やいくさ)が行われました。
この矢戦は要害に拠る平氏が有利となり、機を見ていた知盛の下知のもと精兵2千人が源氏勢に突撃。壮絶な白兵戦で源氏軍に死傷者が続出します。
この時、梶原景時・景季父子を先頭に梶原勢が降り注ぐ矢をものともせず、逆茂木を取り除く奮戦を行いますが、平氏軍の激しい抵抗にあい、源氏軍は苦戦を強いられたのです。
義経の遊撃隊が一ノ谷の背後を突く

鵯越の逆落とし。(写真:Wikipedia)
源範頼・義経ら源氏軍首脳にとって、この戦況はある程度読めていたのではないでしょうか。堅固な要塞と化した一ノ谷陣営を真っ向から攻めても簡単に堕とせるものではありません。
しかし、源氏軍の主力が「囮(おとり)」となり、大手を攻めている間に、ある策謀が進んでいました。
ここからは『鎌倉殿の13人』に従って戦いの経過を見ていきたいと思います。
生田口で戦いが始まる数時間前、義経は別動隊として安田義定らを率いて山側を進み、途中の鵯越で義定に本隊を預けて夢野口に向かわせます。そして自らは遊撃隊として精兵70騎を率いて山側を進み、一ノ谷の背後の高台に回り込んだのです。
そこからは、眼下に平氏の本陣が見渡せました。ただ、足元はまさに断崖絶壁。
とても馬で駆け降りることができる地形ではなかったのです。
義経は地元の猟師からこの崖を鹿が通っているという話を聞き、試しに2頭の馬を落としたところ、1頭は無事に降り立ちました。馬でも降りれると判断した義経軍は一斉に崖を駆け降りたのです。
一ノ谷に降り立った義経軍は遮二無二に平氏本陣に突入します。戦いは大手の東側・生田の森で行われていると思っていた平氏軍中枢は、突然現れた源氏武者を見て驚愕しました。
その動揺は将兵たちに伝わり、平氏軍は次々に海に逃れていったのです。さらに本陣の混乱は波及して平忠度が守る塩屋口が破られます。この状況を見た平知盛は救援に向かいました。しかし、範頼軍の一斉攻撃により大手口も破られ、ついに平氏軍全体が敗走をはじめたのです。

平宗盛。(写真:Wikipedia)
総大将の平宗盛は安徳天皇・建礼門院・二位の尼などを大船に乗せ、屋島に向かいました。生き残った将兵たちも船でその後を追いました。
。
この戦いで平氏は、一門の有力武将の多くを失いました。京都奪回にめどが立つほど勢力を挽回したにも関わらず致命的な大打撃を受けた戦いとなったのです。
ただ、この経緯には矛盾が生じます。【後編】では「逆落とし」の場所とその目的を含め、詳しく紹介しましょう。
後編の記事はこちら
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