頼朝「あやつの恨みは、必ず万寿に降りかかる」いっときの情で助命すれば、必ずや復讐を企てる……かつて命を救われた源頼朝(演:大泉洋)自身、20年以上も怨みを忘れなかったことからも明らかです。
大姫。義高に女装させるところ?歌川芳虎筆
しかし、人の世を治めるべく鬼となった頼朝も、愛娘・大姫(演:落井実結子)の覚悟を前にうろたえてしまいます。
大姫「冠者殿がいなくなったら私も死にます!」お、まさかの義高生存か……と思わせておいてから、お約束の首桶。せっかく頼朝が心変わりしたというのに、命令が間に合いませんでした。
頼朝「わしの負けじゃ……父が悪かった」
大姫との思い出である鞠を刀の柄にかけていなければ……義高が死ぬこと字体は多くの視聴者が覚悟していたでしょうが、その裏をかくような演出は予想外でしたね。
もし義高が脱走せず、計画どおり伊豆山権現に匿われていれば間に合ったかも知れないのに……と残念でなりません。
義高を生かしたい一心で講じた策が疑われ、すべて裏目に出てしまった北条小四郎義時(演:小栗旬)。その心中は察するに余りあります。
頼朝「……これは天命ぞ」反故にされた起請文。命令通りに手柄を立てたはずなのに、斬り捨てられてしまった藤内光澄(演:長尾卓磨)……今週も期待を裏切らない後味の悪さで幕を下ろしたのでした。
政子「断じて許しません!」
そんな第17回放送「助命と宿命」、今回も振り返っていきましょう。
■工藤祐経(演:坪倉由幸)&曽我兄弟(演:2人とも不明)
曽我兄弟「人殺し!」第2回「佐殿の腹」で伊東祐親(演:浅野和之)らの襲撃に失敗して以来、姿を見せなかった工藤祐経。
伊東一族の滅亡後、頼朝の計らいで伊東の旧領を取り戻していいご身分。全身に蚤や虱をたからせていた以前に比べ、こざっぱりしていましたね。
しかし伊東一族の襲撃に際して祐親の長男・河津祐泰(演:山口祥行)を殺害しており、その遺児たち(曽我兄弟)から石を投げつけられる始末。

にっくき工藤祐経との対面。歌川広重「曽我物語図絵」より
ちなみに、曽我兄弟の兄を一萬丸(いちまんまる。曽我十郎祐成)、弟を筥王丸(はこおうまる。曽我五郎時致)と言います。
そんなことには構わず、義時に役目の世話を求めてきました。ちなみに祐泰は義時の妻・八重(演:新垣結衣)の兄。とうぜん八重はいい顔をしません。
やがて適当な職を与えられたものの、すぐに更迭。本作では京都育ちで文筆には長けているものの、基本的に武士の資質に欠ける人物として描かれています。
祐経「怖い所だ、この鎌倉は……私が生きていく所ではない」この状況であれば普通に伊東に帰って所領を経営していればいいと思うのですが、史実『吾妻鏡』ではその後も頼朝に仕えて文筆の才能を発揮。
義時「他に行く所があるのなら一刻も早く出ていくことをお勧めします」
それゆえ後に曽我兄弟の手により暗殺(曽我兄弟の仇討ち)されることに……しばらく先の話ながら、大河ドラマでも恐らく描かれることでしょう。
■海野幸氏(演:加部亜門)
信濃国から義高につき従ってきた海野幸氏は、御所から脱出した義高の影武者として命懸けの任務を果たしました。

海野小太郎幸氏。歌川貞秀『英雄百首』より
これは『吾妻鏡』でも同様で、頼朝は12歳の少年にしてやられたと激怒して、幸氏を捕らえます。
しかし頼朝派、わずか12歳で死を覚悟し、身代わりになった忠義を高く評価。義高の死後は幸氏を御家人として召し抱えました。
幸氏としては微妙な心境だったことでしょうが、義仲が義高にあてた遺訓を忠実に守ったものと考えられます。
信濃武士にふさわしく、弓馬にすぐれた幸氏はその後も数々の場面で活躍。曽我兄弟の仇討ちでは頼朝を守って負傷しているほか、頼朝の死後も建仁の乱(建仁元・1201年)や和田合戦(建暦3・1213年)にも出陣しました。
後に鎌倉幕府の存亡を賭けた承久の乱(承久3・1221年)にも出陣していますから、長い登場が期待できそうです。
まだあどけない少年ですが、これから立派な若武者へと成長していくことでしょう。
■一条忠頼(演:前原滉)&武田信義(演:八嶋智人)
義仲討伐で武功を立てたにもかかわらず、自分たちには恩賞がない……不満をくすぶらせつつ、戦勝祝いの名目で鎌倉へやってきた武田信義とその嫡男・一条忠頼。
かねがね源氏の棟梁をめぐって対立してきた信義は、幽閉されている義高に接近して謀叛をそそのかしました。
しかし義高は父の遺訓を守ってこれを峻拒。改めて大義に生きた義仲の大器と、その精神をしっかりと受け継いだ義高の男ぶりが際立ちます。
やがて義高が討たれると、義高を救えなかった八つ当たりとばかり忠頼は誅殺。信義は起請文を書かされ、頼朝の軍門に屈する形となりました。
信義「謀叛とは何か!謀叛とは家人が主人に対して行うこと。わしは一度も頼朝を主人と思ったことはないわ!」

武田信義。菊池容斎『前賢故実』より
こうして義仲に次いで信義も源氏の棟梁争いから脱落。源氏の中で頼朝に対抗しうる存在はいなくなったのでした……今のところは。
信義「この武田信義、頼朝殿に弓引くつもりなど微塵もなかった。息子は死ぬことはなかったのだ!」ちなみに『吾妻鏡』によると信義が頼朝に対して「子々孫々まで弓引くこと有るまじ」き旨を起請文に書かされたのは養和元年(1181年)のこと。
その理由は、後白河法皇が信義に対して頼朝追討を命じたという風聞が流れたためと言われています。
また、忠頼が粛清されたのは元暦元年(1184年)6月16日とドラマでは粛清と起請文の前後が逆に。
『吾妻鏡』によると武田信義は文治2年(1186年)に59歳で病没したと言われます。しかし同じ『吾妻鏡』で建久元年(1190年)の頼朝上洛に随行していたり、建久5年(1194年)の東大寺造営などに参加していたりなど、記述に矛盾が見られます。
この場合、文治2年(1186年)に没したのが信義でなかったか、あるいはその後も活躍したのが信義でなかったかのどちらかに。
いずれにせよ、武田が甲斐源氏の実力者として相応に重んじられ、信義の子孫たちも大いに活躍しています。
■藤内光澄(演:長尾卓磨)
光澄「謀叛人、源義高。この藤内光澄が討ち取りました!」任務を忠実に遂行した結果として、下されたご褒美が梟首(きょうしゅ。さらし首)とはこれ如何に……。
劇中ではただ斬った(首はつながっている)まま、固瀬川(現:境川下流域。神奈川県藤沢市)に転がされていました。

処刑される光澄(イメージ)
トップの心変わりで急遽命令を変更したものの、末端の現場に連絡がいかず、怒りを買ってしまった藤内光澄。
光澄「何故だ……何故だ~っ!」いくら義高の死が悲しいとは言え、光澄は命令を忠実に守っただけなのだから……さすがに頼朝も庇おうとしましたが、政子の剣幕に負け、斬らざるを得なかったようです。
政子「殺せなどと言った覚えはありません!」しかし政子の発した「許さぬ」とはそういうこと……以前の「亀の前事件」に引き続き、御台所としての言葉がいかに重いものであるか、思い知らされたことでしょう。
義時「我らはもう、かつての我らではないのです」義高を喪い、忠頼を誅し、そして光澄を斬り捨てた義時の悲しみがよく表わされていました。
それにしても……誰もが悲しんだ義高の死、少なくとも父は悼んだ忠頼の死に比べ、誰からも顧られず斬り捨てられた光澄が、実に哀れでなりません。
せめて彼の主人である堀藤次親家(ほり とうじちかいえ。未登場。挙兵以来の側近)くらいは、悼んであげて欲しいものです。
■次週・第18回放送「壇ノ浦で舞った男」
他にも源義経(演:菅田将暉)と静御前(演:石橋静河)の出逢いや頼朝の声真似で義高脱出に一役買った阿野全成(演:新納慎也)、義仲の思いを伝えた巴御前(演:秋元才加)に彼女を家中に迎えたい和田義盛(演:横田栄司)など、実に盛りだくさんな第17回でした。

壇ノ浦で舞ったと言えば……義経の八艘跳び。歌川国芳筆
そして次週はいよいよ壇ノ浦。頼朝にとって積年の宿敵である平家一門が滅亡したものの、それでめでたしめでたしとはなりません。
梶原景時「あのお方は、天に選ばれたお方。鎌倉殿も同じだ」天に選ばれた頼朝と義経の両雄並び立たず、やがて迎える決別を予感させるところへ、義経の不穏なセリフ。
義経「この先、私は誰と戦えばよいのか」次週は紀行なしの45分フルバージョンとのこと、屋島の戦いから一気に壇ノ浦まで駆け抜ける義経たちの活躍が楽しみですね!
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 2平氏滅亡』吉川弘文館、2008年3月
- 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 前編』NHK出版、2022年1月
- 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 完全読本』産経新聞出版、2022年1月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan