日露戦争の勝敗を大きく分けたとも言われている「日本海戦」。

ロシア率いる世界最高峰のバルチック艦隊に追い詰められていた日本ですが、東郷平八郎(とうごうへいはちろう)と言う男の機転によって勝利を掴みます。


今回は、東郷平八郎の人物像や日本海戦で日本を勝利へ導いた幻の戦術についてみていきましょう。

「日本の勝ち目はない」劣勢ながらもロシアの世界最高峰の艦隊を...の画像はこちら >>


東郷平八郎

■日本海戦

日本海戦とは、日露戦争中の1905年5月27日と28日の2日間、日本海軍とロシア海軍の間で起こった海戦のことです。

日本人が「バルチック艦隊」と呼んでいたロシア海軍は、最新鋭戦艦を4隻も保有していました。そのため他国の間では、「日本海戦において、日本の勝ち目はないだろう」と言われます。そのような中、日本を勝利へと導いたのが、東郷平八郎です。

■東郷ターン(T字戦法)

平八郎は、東郷ターンと呼ばれる戦術を用いて、バルチック艦隊を退けます。

東郷ターンは、東郷平八郎がとった戦法のことで、丁字またはT字戦法とも呼ばれています。「敵艦の進行方向を遮り、一斉砲撃する」といった戦法です。一般的には後方と左右にしか砲撃できず、前進していれば左右や後方へ旋回には時間がかかるという戦艦の弱点を利用したものでした。

ただ、この戦術は自身が壁となって敵の進行方向を遮ることになるため、一方的に攻撃されるリスクもあります。

成功すれば最強の戦術とも呼ばれていますが、高い砲撃技術を求められることや自滅してしまう可能性が高いことから、実践で取り入れることは不可能だと言われていました。

■東郷平八郎の賭け

もともと、平八郎はバルチック艦隊に並走して、並航戦に持ち込む予定でした。
ところが敵艦隊の位置報告に計測ミスがあり、平八郎を乗せた戦艦・三笠はバルチック艦隊の正面に出ることに。

このとき、リスクを避けて敵艦から離れれば、敵に逃げられる恐れがありました。しかし、敵艦の正面にでれば、敵の行動を不能にできる代わりに集中砲撃を浴びることになります。

そんな場面で、平八郎が下した決断は「敵艦の正面にでること」でした。

「三笠(平八郎の乗った戦艦)を沈められようとも、バルチック艦隊は絶対に逃さない」という決死の決断をしたのかもしれません。

「日本の勝ち目はない」劣勢ながらもロシアの世界最高峰の艦隊を倒した男・東郷平八郎


三笠

胸中は定かではありませんが、平八郎の機転と決断により、「東郷ターン」と言う難しい戦術を奇跡的に成功させ、日本側は被害を最小限に抑えて日本海戦を制したのです。

■英雄と称えられた平八郎

結果的に平八郎が下した決断は日本を救い、彼は当時、英雄と称えられました。

今回紹介した平八郎のように、窮地へ追い込まれたときに機転を利かせた大胆な行動をとることで、状況が好転することもあるかもしれません。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ