幕末の異人たちの困惑っぷりは、私たちの衝撃以上のものがありました。
■そんなもの見せちゃダメ!勝海舟がアメリカで叱られる
勝海舟は咸臨丸で1860年アメリカへ渡りました。
サンフランシスコの港について数日後、なぜか裁判所から呼び出しを食らいます。おたくの水兵を罰すべしと命令されますが、その理由はなんと「貴婦人に春画を見せたから」。
水兵がからかうって見せたのかはわかりませんが、西洋での絵画は神々や宗教に基づいたものや風景画や肖像画が伝統なので、春画は卒倒レベルの衝撃だったでしょう。
しかしここからの顛末が面白く、海舟が証拠として見せられた春画を持って帰ろうとすると裁判官に呼び止められ、貴婦人が実は興味津々で欲しがっているから、個人的に金を出すのでそれを譲ってくれと相談されます。
海舟も内心「ただ春画が欲しかっただけか、このメリケンめ」と思ったようですが、それで事なきを得たようです。
■ペリーは米水兵に春画を売るな!と激怒
開国を巡り政府とペリーが激烈な交渉を勧めているとき、細かな件でも論争になりました。
日本側の外交官・林復斎が、ペリー側の士官があるお寺に聖書を置いて行ったことを批判して「この国でキリスト教を布教する気か」というと、ペリーは「日本人が春画を水兵に与えたり、ボートに投げ込んだりする方がよっぽど悪質だ」と言い返したそうな。
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黒船だ―!とてんやわんやに江戸を逃げ出した庶民も多かったと言いますが、小舟に乗って春画を売りに行く商魂たくましい人物もいたようで。

ペリー像の版画(嘉永7年/1854年)頃
■恥知らずなのに行儀がいい…ニッポンジンがワカリマセン

『子供遊び凧の戯』歌川芳盛(明治1年)※この中には、猥褻な図像はなさそうです…
ロシア艦隊の軍医ヴィシェスラフツォフは、お店に挿絵入りの三文小説や春画が白昼堂々販売されていたり、性器が描かれた凧や玩具で子供たちが遊び、なおかつ何の絵なのか知っているということに大変驚いたようです。
倫理観が崩壊している!と嘆きつつも同時に日本人が「行儀が良くてたいへん温厚」なので、理解できない!と書いています。
また、エルベ号のドイツ人艦長ヴェルナーも、わいせつな品物が玩具として堂々と飾られて、それを家族が家族のために購入していく様子に驚き、
「十歳の子が、ヨーロッパでは老貴婦人でさえ知らないような性愛の秘儀を知っている!」
と呆れ、日本人は恥を知らないので恥知らずと評価しています。
しかし同時に、化粧をしなくてもバラ色の頬をした日本女性の愛らしさにほれ込んでしまうとも語っています。
幕末期の外国人たちは、日本人の秩序の良さや温厚さに感嘆しつつも、性のおおらかさについてはどうしても理解しがたかったようです。
江戸時代の人たちは色事にとってもおおらか♪のぞき見されてもなんのその!
参考:江戸の春画を知りたい(Gakken Mook)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan