実際、有名な「赤い靴はいてた女の子」の歌詞には
「横浜の波止場から 船に乗って…」
と歌われています。
横浜の山下公園には「赤い靴はいてた女の子」の銅像があり観光名所の1つとされていますし、近年ではJR横浜駅の構内にも小さな「赤い靴の女の子」が置かれ、人々の新たな待ち合わせスポットとなっています。
このように横浜名物の印象が強い「赤い靴の女の子」ですが、実は静岡県静岡市清水区の日本平にも「赤い靴の女の子」にまつわる像が存在することをご存知でしょうか?

なぜ「赤い靴の女の子」が複数の地域に存在するのでしょうか?
■「赤い靴の女の子」は静岡県出身
日本平にある「赤い靴の女の子」は、「赤い靴母子像」として静岡市の観光名所となっています。
横浜の「赤い靴の女の子」との違いは、女の子が母親と手を取り合い、親子の絆を感じさせる姿の像であること。
親子の像の下には、童謡でもよく知られる
「赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった」
の歌詞が刻まれています。
銅像に添えられた碑文を読むと、日本平にこの銅像が置かれている理由が判明しました。


「女の子」のモデルになったのは、明治37年7月15日に誕生した「岩崎きみ」という実在の少女とされています。きみと母かよの悲しいエピソードは、この碑文を見ただけでも本当に心が痛むくらいです。
彼女の生まれた場所が静岡県の旧不二見村(現在の静岡市清水区)だったため、後に人々が
「この幸薄い母と子をふるさとの地、不二見村を見おろすこの日本平山頂の、再び相いあわせようと考えました(碑文より)」
と、この母子像を建てるに至ったというのです。
■「赤い靴といえば横浜」になった理由
ではなぜ「赤い靴の女の子といえば、横浜」になったのでしょうか?
その根拠は、冒頭でもご紹介した、童謡「赤い靴」の歌詞でした。
「横浜の 波止場から船に乗って
異人さんにつれられて行っちゃった」
ここに「横浜」という地名が登場する理由については、明確に書かれているものを見付けることができませんでした。
しかし明治時代の横浜は、1859年7月1日(安政6年6月2日)の開港以後、外国人居留地や日本人町が作られ、日本で最初の鉄道が走り、「日本の近代化と文明開化の象徴というべき場」「人も物もここを通って海外との出入りを行う場」となっていました。
そこから「異人さんに連れられて」横浜から「行っちゃった」という歌詞になったのでしょう。

(山下公園からの横浜港の眺め/画像出典:フォトスク)
ちなみに「赤い靴の女の子」の銅像があるのは、横浜と清水だけではありません。
きみが幼くして亡くなった地である麻布十番と、きみの母親のかよやその夫の鈴木氏と関わりの深かった北海道(函館、小樽、留寿都)に、きみを模した像やきみ・かよ親子の像がある他、きみの義父となった鈴木氏の故郷である青森県西津軽郡鯵ヶ沢町には「赤い靴 親子三人像」が2010年(平成22年)に建立されました。
お近くへ立ち寄った際には、悲しい母子の物語に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
【参考】
・童謡「赤い靴をはいた女の子」は、実在の少女だったという事はご存知ですか?
・山下公園・赤い靴はいてた少女像、横浜だけでなく静岡など各地にある意外な理由
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